【ふしぎな川柳 第六十九夜】ふたりはいつも正しかった-久保田紺-
- 2016/01/30
- 22:19
よいにおいふたりで嘘をついたとき 久保田紺
【ふたりのただしさ】
久保田紺さんの句集『川柳カード叢書③ 大阪のかたち』からの一句です。ちなみにこの句集の表紙絵はくんじろうさんが描かれているんですよ。
久保田紺さんのこの句をみたとき、ふっと思い出した詩があったので引用してみたいと思います。
なにもない場所に
言葉がうまれる瞬間を
二人でもくげきしたね
あれは
夜あけのバスにのって遠い町にいくときの
つめたくうす青い空気くらいまぎれもない
たんじゅんにただしい
できごとだったね
江國香織『江國香織詩集 すみれの花の砂糖づけ』
私ね、この久保田紺さんの句や江國香織さんの詩のなかの力強さって、「よいにおい」とわかったことでも、「たんじゅんにただしいできごと」を「もくげき」したことでもなくて、「ふたり=二人」っていう主語が、わたしとあなたに対して使うことができたってことだとおもうんですよ。
ふたりで嘘をついたこと。二人でもくげきしたこと。
このときの主語の「ふたり」ということばがとっても力強いものだったんじゃないかと思って。というよりも、「ふたり」という主語が使えたことがこれらふしぎなふたりの出来事性を決定づけたんじゃないかと思って。
いっしょにいられるってどういうことかっていうと、わたしとあなたに対して「ふたり」っていう主語が使えることなんですよ。
でね、「よいにおい」や「たんじゅんにただしいできごと」ってなぜか紺さんも江國さんもふしぎなひらがなの使い方をしていますよね。これって、ふたりにしかわからないできごとだから、ひらがなだと思うんですよ。漢字で変換できるほど、ふへんてきな出来事でも一般的な出来事でも摩擦のない出来事でもない。
ひらがなの、まだできごとができごとにならないようなやわらかいふよふよしたようなできごとのなかに、〈ふたり〉はいると思うんです。
そしてそのふよふよのなかで、ふたりは〈ふたり〉っていうマジカルな主語がつかえたんじゃないかって。
主語は、魔法なんですよ。だいすきになるための。
大好きな隙間に誰か立っている 久保田紺
橋口亮輔『ぐるりのこと』(2008)。〈ふたり〉の単位ってときにこわれることがありますよね。こわれかけることがある。言語でも支えきれないことがある。そういうときって、でも、なにげない〈述語〉からふっと救われることがあるのかなって思うんですよね。〈描く〉とか〈歩く〉ですね。〈いっしょに描く〉とか、〈いっしょに歩く〉。そういう述語から主語が導き出されてくる場合もあるんじゃないかって。そしてそういうなにげない、けれど光ある述語がじぶんの〈ぐるり〉に落ちている。それに気づかなくなってしまったとき、〈ふたり〉は〈ふたり〉でなくなるんだけれど、でもまたそのときに歩みをゆるめて、さがしてみればいい。そういう映画だと、おもう。
【ふたりのただしさ】
久保田紺さんの句集『川柳カード叢書③ 大阪のかたち』からの一句です。ちなみにこの句集の表紙絵はくんじろうさんが描かれているんですよ。
久保田紺さんのこの句をみたとき、ふっと思い出した詩があったので引用してみたいと思います。
なにもない場所に
言葉がうまれる瞬間を
二人でもくげきしたね
あれは
夜あけのバスにのって遠い町にいくときの
つめたくうす青い空気くらいまぎれもない
たんじゅんにただしい
できごとだったね
江國香織『江國香織詩集 すみれの花の砂糖づけ』
私ね、この久保田紺さんの句や江國香織さんの詩のなかの力強さって、「よいにおい」とわかったことでも、「たんじゅんにただしいできごと」を「もくげき」したことでもなくて、「ふたり=二人」っていう主語が、わたしとあなたに対して使うことができたってことだとおもうんですよ。
ふたりで嘘をついたこと。二人でもくげきしたこと。
このときの主語の「ふたり」ということばがとっても力強いものだったんじゃないかと思って。というよりも、「ふたり」という主語が使えたことがこれらふしぎなふたりの出来事性を決定づけたんじゃないかと思って。
いっしょにいられるってどういうことかっていうと、わたしとあなたに対して「ふたり」っていう主語が使えることなんですよ。
でね、「よいにおい」や「たんじゅんにただしいできごと」ってなぜか紺さんも江國さんもふしぎなひらがなの使い方をしていますよね。これって、ふたりにしかわからないできごとだから、ひらがなだと思うんですよ。漢字で変換できるほど、ふへんてきな出来事でも一般的な出来事でも摩擦のない出来事でもない。
ひらがなの、まだできごとができごとにならないようなやわらかいふよふよしたようなできごとのなかに、〈ふたり〉はいると思うんです。
そしてそのふよふよのなかで、ふたりは〈ふたり〉っていうマジカルな主語がつかえたんじゃないかって。
主語は、魔法なんですよ。だいすきになるための。
大好きな隙間に誰か立っている 久保田紺
橋口亮輔『ぐるりのこと』(2008)。〈ふたり〉の単位ってときにこわれることがありますよね。こわれかけることがある。言語でも支えきれないことがある。そういうときって、でも、なにげない〈述語〉からふっと救われることがあるのかなって思うんですよね。〈描く〉とか〈歩く〉ですね。〈いっしょに描く〉とか、〈いっしょに歩く〉。そういう述語から主語が導き出されてくる場合もあるんじゃないかって。そしてそういうなにげない、けれど光ある述語がじぶんの〈ぐるり〉に落ちている。それに気づかなくなってしまったとき、〈ふたり〉は〈ふたり〉でなくなるんだけれど、でもまたそのときに歩みをゆるめて、さがしてみればいい。そういう映画だと、おもう。
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