【短歌】新聞が…(「毎日歌壇賞2015年・加藤治郎 選」『毎日新聞2016年2月1日』)
- 2016/02/01
- 16:26
2015年の毎日歌壇賞(加藤治郎さん選)をいただきました。ありがとうございました。
新聞がきょうもきてないこの朝に戦車のような羊の群れが 柳本々々
加藤治郎さんから次の選評をいただきました。
新聞社は何者かに占拠されたのだろう。テロリストを想(おも)う。近未来の危機を歌った。大衆のメタファーである羊の群れが凶悪化している。社会的主題を歌うとき修辞は有効かという現代短歌の問題につながる。野心作だ。 加藤治郎
受賞の言葉としてこんなふうに書かせていただきました。
眠れなかった夜をリセットしてくれたのが新聞の投函される音だった。その音で私は一日を始められた。私にとって世界が終わることはその音が失われることだ。新聞も定型も羊も世界の始まりの音楽を決める。
私はよく穂村弘さんが『短歌ヴァーサス』で紹介されていた加藤治郎さんの言葉を思い出すんですが、
「十回打席に立って六回打てればいいんだ。それは五回打席に立って三回打つってこととは違うよ。それでは駄目。十回打席に立つってことが大事なんだ」
ということばなんです。たぶんこれを私なりに翻訳してみると、〈毎日〉うたいなさい、毎日〈誰かに〉歌いなさい、ってことじゃないかと思うんです。
毎日歌壇っていうのは、毎日投句できるシステムになっているんだけれども、その〈毎日〉歌壇を「毎日誰かにむかって歌いなさい」という加藤治郎さんが選者をされていることってとても意味が深いことなのかなあと思っています。
〈毎日〉というなにげない時間が、その時間を受け取ろうとする選者の枠組みをとおして、思いがけない詩に飛躍すること。それが新聞歌壇のすてきさやおもしろさなのかなあと思っています。
加藤治郎さん、ありがとうございました!
しろがねの噴水塔のてっぺんに水のむ鴉 わらってりゃいい 加藤治郎
新聞がきょうもきてないこの朝に戦車のような羊の群れが 柳本々々
加藤治郎さんから次の選評をいただきました。
新聞社は何者かに占拠されたのだろう。テロリストを想(おも)う。近未来の危機を歌った。大衆のメタファーである羊の群れが凶悪化している。社会的主題を歌うとき修辞は有効かという現代短歌の問題につながる。野心作だ。 加藤治郎
受賞の言葉としてこんなふうに書かせていただきました。
眠れなかった夜をリセットしてくれたのが新聞の投函される音だった。その音で私は一日を始められた。私にとって世界が終わることはその音が失われることだ。新聞も定型も羊も世界の始まりの音楽を決める。
私はよく穂村弘さんが『短歌ヴァーサス』で紹介されていた加藤治郎さんの言葉を思い出すんですが、
「十回打席に立って六回打てればいいんだ。それは五回打席に立って三回打つってこととは違うよ。それでは駄目。十回打席に立つってことが大事なんだ」
ということばなんです。たぶんこれを私なりに翻訳してみると、〈毎日〉うたいなさい、毎日〈誰かに〉歌いなさい、ってことじゃないかと思うんです。
毎日歌壇っていうのは、毎日投句できるシステムになっているんだけれども、その〈毎日〉歌壇を「毎日誰かにむかって歌いなさい」という加藤治郎さんが選者をされていることってとても意味が深いことなのかなあと思っています。
〈毎日〉というなにげない時間が、その時間を受け取ろうとする選者の枠組みをとおして、思いがけない詩に飛躍すること。それが新聞歌壇のすてきさやおもしろさなのかなあと思っています。
加藤治郎さん、ありがとうございました!
しろがねの噴水塔のてっぺんに水のむ鴉 わらってりゃいい 加藤治郎
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