【お知らせ】「【短詩時評 十二時限目】〈遭遇〉するための現代川柳入門 飯島章友×柳本々々-きょう川柳を始めたいあなたの為に-」『-BLOG俳句新空間-第36号』
- 2016/02/12
- 01:56
『 BLOG俳句新空間 第36号』にて「【短詩時評 十二時限目】〈遭遇〉するための現代川柳入門 飯島章友×柳本々々-きょう川柳を始めたいあなたの為に-」という文章を載せていただきました。『BLOG俳句新空間』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
たぶん誰しもあるジャンルのなかに入っていくときはとつぜん《遭遇》して、そのなかに《暴力的》に入ってゆくんじゃないのかなあと思っているんですが、そんなふうにこれまでまったく川柳や短詩にふれたことがなかったひとがとつぜん現代川柳に《遭遇》するためにはどうしたらいいかをゲストにおなじかばん会員の飯島章友さんをお招きしてふたりでお話してみました。
で、飯島さんを川柳に《遭遇》させた方のおひとりは、なかはられいこさんだったんですね。そう、飯島さんは書かれていた。
で、わたしも、あるとき、あるカフェでチョコレートワッフルを食べながら(その当時いつも読書するときはそのカフェでしていたのです)なかはらさんの句集をはじめてひらいたときにとても驚いたんです。で、チョコレートワッフルを食べるのをすぐにやめてそのまま読み進んだ。えー、川柳ってこんなことまでできるんだと率直におもった。それは誰かに伝えたいおどろきとおののきでした。
ですから今回はなかはられいこさんの句集を軸にふたりで話をすすめてみました。実際、あらためて読み直してみてもわたしはとつぜんこのなかはらさんの句集のなかに暴力的に入ってゆくやりかたがまったく川柳や短詩に接したことのないひとのひとつの現代川柳の遭遇のしかたとしてありうるんじゃないかなと思いました。
今回の《遭遇の仕方》はわたしが構成をたてて飯島さんにお話をうかがっているので、《わたしの偏差》が限りなく入っています。ですから、《入門》とつけたもののなんぜんもあるうちのひとつの外れにある《門》に過ぎません(門、になっていれば)。
ただ、現代川柳のことを考えたときに、川柳というものが、ひとつの偏差や偏愛をそもそも許容するジャンルなのではないかと思うのです。さいきん、現代川柳を語っているうちに、語り落としていくものの方が気になりはじめて、ということは、まだまだ川柳って「奥があるぞ」っていうことなんですね。ぜんぜんカラーが違う大陸があるんです、語っても語ってもしゃべれどもしゃべれども。
だから川柳ってもしかしたら《遭遇》に《遭遇》しつづける場所のことなのかもしれません。飯島さんとお話させていただいてそんなふうにおもいました。
主義なんてないから船に乗るんだよ なかはられいこ
当時そのカフェで撮った写真。このとき私ははじめてなかはられいこに《出会っ》た
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
たぶん誰しもあるジャンルのなかに入っていくときはとつぜん《遭遇》して、そのなかに《暴力的》に入ってゆくんじゃないのかなあと思っているんですが、そんなふうにこれまでまったく川柳や短詩にふれたことがなかったひとがとつぜん現代川柳に《遭遇》するためにはどうしたらいいかをゲストにおなじかばん会員の飯島章友さんをお招きしてふたりでお話してみました。
で、飯島さんを川柳に《遭遇》させた方のおひとりは、なかはられいこさんだったんですね。そう、飯島さんは書かれていた。
で、わたしも、あるとき、あるカフェでチョコレートワッフルを食べながら(その当時いつも読書するときはそのカフェでしていたのです)なかはらさんの句集をはじめてひらいたときにとても驚いたんです。で、チョコレートワッフルを食べるのをすぐにやめてそのまま読み進んだ。えー、川柳ってこんなことまでできるんだと率直におもった。それは誰かに伝えたいおどろきとおののきでした。
ですから今回はなかはられいこさんの句集を軸にふたりで話をすすめてみました。実際、あらためて読み直してみてもわたしはとつぜんこのなかはらさんの句集のなかに暴力的に入ってゆくやりかたがまったく川柳や短詩に接したことのないひとのひとつの現代川柳の遭遇のしかたとしてありうるんじゃないかなと思いました。
今回の《遭遇の仕方》はわたしが構成をたてて飯島さんにお話をうかがっているので、《わたしの偏差》が限りなく入っています。ですから、《入門》とつけたもののなんぜんもあるうちのひとつの外れにある《門》に過ぎません(門、になっていれば)。
ただ、現代川柳のことを考えたときに、川柳というものが、ひとつの偏差や偏愛をそもそも許容するジャンルなのではないかと思うのです。さいきん、現代川柳を語っているうちに、語り落としていくものの方が気になりはじめて、ということは、まだまだ川柳って「奥があるぞ」っていうことなんですね。ぜんぜんカラーが違う大陸があるんです、語っても語ってもしゃべれどもしゃべれども。
だから川柳ってもしかしたら《遭遇》に《遭遇》しつづける場所のことなのかもしれません。飯島さんとお話させていただいてそんなふうにおもいました。
主義なんてないから船に乗るんだよ なかはられいこ
当時そのカフェで撮った写真。このとき私ははじめてなかはられいこに《出会っ》た
- 関連記事
-
- 【お知らせ】「下北沢で見たカラフルな白いテレビ 青木亮人・鴇田智哉・田島健一・宮本佳世乃【『凧と円柱』刊行記念「カラフルな俳句、不思議な眼をした鳥たちのこゑ」2014年12月13日・下北沢B&B】極私的レポート」『週刊俳句 第400号』 (2014/12/21)
- 【お知らせ】エッセイ「定型をめぐる星間飛行と、キス。」『おかじょうき』2014年7月号 (2014/07/14)
- 【お知らせ】紀伊國屋書店新宿本店【2階文学】柳本々々(やぎもともともと)選書フェア《もともとの素》はじめました (2020/02/01)
- 【表紙と裏表紙】安福望×柳本々々『きょうごめん行けないんだ』の表紙・裏表紙・厚み (2017/04/04)
- 【お知らせ】「【短詩時評 16号車】中澤系を〈理解〉しない-圧縮ファイル『uta0001.txt』を解凍することの困難-」『BLOG俳句新空間 第40号』 (2016/04/01)
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々のお知らせ