【感想Ⅱ】月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね 永井祐
- 2014/07/14
- 00:16
月を見つけて月いいよねと君が言う ぼくはこっちだからじゃあまたね 永井祐
【火星きれいだね。火星いいよね】
ちょっと異例なんですが、もうすこし、つづけて「月いいよね」の所在をかんがえてみたいとおもいます。
「月きれいだね」と「月いいよね」の違いは、なんなのか。
たとえば、「月きれいだね」とか「火星きれいだね」というときは、これは〈客観的〉な美しさです。いま、網膜のスクリーンにうつしだされているきれいな月や火星であり、これはわたしにとっても〈きれい〉ですが、おなじ生体としてのハードウェアを兼ね備えた〈あなた〉も〈きれい〉だとおもうはずです。ですから、〈きれい〉というのは客観にポイントがあります。わたしもこうおもうが、あなたもこうおもう。なぜなら、わたしにはこうみえるが、あなたにもそうみえるはずだから。
ところが「月いいよね」は、たとえば、「お、この構図いいね」や「あ、このにのうでのやわらかさ、いいね」などにうかがえるように、この〈わたし〉の内部でいったん〈感覚〉として処理された〈主観的〉な〈いい〉がポイントになってきます。たとえば、Facebookやブログで、いいねボタンってありますよね。あれは、この〈わたし〉が〈いいね〉とおもうからこそ、意味があるのであって、客観的に、いいねであるような、あなたもわたしもおもえるようないいねでは意味がないわけです。ですから、〈いいよね〉というのは、あなたはいいかどうかわからないけれど、このわたしは「いい」とおもうという主観的ありかたをあらわしています。
つまりこの歌で大事なのは、客観的に網膜にうつしだされてみえている月ではなくて、「君」のなかで主観的にくみたてられた世界でただひとつの「君」だけがもつ「月」が「月いいよね」という「君」のひとことで顕在化してしまったことなのではないでしょうか。このうたの上の句とは、そうした、世界でただひとつの、その夜だけにしかあがらない、みちることのない、唯一無二の〈月〉としての問いかけとしてあらわれていたのではないでしょうか。
〈いい〉と発話することは、〈わたし〉の主観を〈あなた〉の主観に問うことになるので、おそらくそれは、ひとつの〈あなた〉への賭けでもあるようにおもいます。
月を媒介に、〈わたし〉を媒介にした問いかけが、二字あきという、定型においては永遠よりもみじかく・ながい時間のなかで、ただひとつ、たったいっかいしか答えられないようなかたちで、〈いい〉月夜のもと、「僕」に問われているのです。
どちらでもいいことを一つに選ぶ 昨日のことを今日考える 永井祐
【火星きれいだね。火星いいよね】
ちょっと異例なんですが、もうすこし、つづけて「月いいよね」の所在をかんがえてみたいとおもいます。
「月きれいだね」と「月いいよね」の違いは、なんなのか。
たとえば、「月きれいだね」とか「火星きれいだね」というときは、これは〈客観的〉な美しさです。いま、網膜のスクリーンにうつしだされているきれいな月や火星であり、これはわたしにとっても〈きれい〉ですが、おなじ生体としてのハードウェアを兼ね備えた〈あなた〉も〈きれい〉だとおもうはずです。ですから、〈きれい〉というのは客観にポイントがあります。わたしもこうおもうが、あなたもこうおもう。なぜなら、わたしにはこうみえるが、あなたにもそうみえるはずだから。
ところが「月いいよね」は、たとえば、「お、この構図いいね」や「あ、このにのうでのやわらかさ、いいね」などにうかがえるように、この〈わたし〉の内部でいったん〈感覚〉として処理された〈主観的〉な〈いい〉がポイントになってきます。たとえば、Facebookやブログで、いいねボタンってありますよね。あれは、この〈わたし〉が〈いいね〉とおもうからこそ、意味があるのであって、客観的に、いいねであるような、あなたもわたしもおもえるようないいねでは意味がないわけです。ですから、〈いいよね〉というのは、あなたはいいかどうかわからないけれど、このわたしは「いい」とおもうという主観的ありかたをあらわしています。
つまりこの歌で大事なのは、客観的に網膜にうつしだされてみえている月ではなくて、「君」のなかで主観的にくみたてられた世界でただひとつの「君」だけがもつ「月」が「月いいよね」という「君」のひとことで顕在化してしまったことなのではないでしょうか。このうたの上の句とは、そうした、世界でただひとつの、その夜だけにしかあがらない、みちることのない、唯一無二の〈月〉としての問いかけとしてあらわれていたのではないでしょうか。
〈いい〉と発話することは、〈わたし〉の主観を〈あなた〉の主観に問うことになるので、おそらくそれは、ひとつの〈あなた〉への賭けでもあるようにおもいます。
月を媒介に、〈わたし〉を媒介にした問いかけが、二字あきという、定型においては永遠よりもみじかく・ながい時間のなかで、ただひとつ、たったいっかいしか答えられないようなかたちで、〈いい〉月夜のもと、「僕」に問われているのです。
どちらでもいいことを一つに選ぶ 昨日のことを今日考える 永井祐
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