【感想】何もかもわかったような顔をしてそこに座って待っていなさい 木下龍也
- 2016/02/23
- 22:27
何もかもわかったような顔をしてそこに座って待っていなさい 木下龍也
ぼくたちは月でアダムとイブになるNASAの警告なんか無視して 〃
慣性の法則はもう壊れたし動いていいよ奈良の大仏 〃
【宇宙の 法則が 乱れる!】
木下さんが歌われていた「鯛めしタイムマシン」という朗読ラップを聴いていたときにおもしろいなと思ったのが、「たいめし」と「たいむましん」の接着だったんです。韻律で接着しているんだけれど、「タイムマシン」がくっつくことによって、〈時空の乱れ〉が起こる。「鯛めし」という日常的でもないけれど非日常でもない食べ物に「タイムマシン」がくっつくことによって次元がきりひらかれる。
で、ちょっと思ったのが木下さんの短歌のひとつの詩的跳躍として〈慣性系の破砕〉があるのかなあっておもったんです。言い換えれば、「宇宙の法則が乱れる」しゅんかんをふいにとらえる。
上の三首がそうなんですが、どれも〈慣性〉がこわれることによって新しい時空間が出現する歌なんじゃないかとおもうんですね。
「慣性の法則はもう壊れた」から「奈良の大仏」に動いていいよ、という。あるいは「NASAの警告」を無視して「ぼくたち」が「月でアダムとイブになる」のは、それはもう〈人類史の慣性系〉を無視しているとおもうんですよ。
だからこそ、「何もかもわかったような顔をしてそこに座って待っていなさい」と言えるようにおもうんです。いずれ慣性系がこわれることがわかっているから。
だから、たとえば、ハンカチ落としの時空間がこわれ/うまれると、
ハンカチを落としましたよああこれは僕が鬼だということですか 木下龍也
ヒッチコック『サイコ』(1960)。室内空間のアングルの撮り方がたとえばゲームの『バイオハザード』の洋館のアングルなんかともすごくよく似ていて、つまりアングルや表現のありかたが非常に特徴的な映画なんですが、表現だけでなく、内容もひじょうにわかりやすい、けれどいろんなかたちで読み込める構造をつくっていておもしろいんですね。この映画っていろんなものを〈回避〉するのが特徴的なんです、とくに〈死〉を。殺人をめぐる映画だし、シャワーシーンで女のひとが惨殺されるシーンがとっても有名なんだけれど、でも刺すしゅんかんはうつらない(ちなみに血はチョコレートソースを使ってる。それも〈回避〉)。それからこの映画では〈はじめから死んでいるひとが生きている映画〉でもあるんだけれど、それも〈死〉の回避になっている。ところが回避してきた〈ゾンビ的慣性系〉が最終的に壊れる映画になっているんです。木下さんの歌にならえば大仏が動き出すのがラストシーンです。でもタイトルは「サイコ(心理)」だから、どこまでが心理でどこからが心理なのかも実はよくわからない。つまりこの映画、タイトルですでに物語の重心や核心を〈回避〉しているともいえると思うんですよ。
ぼくたちは月でアダムとイブになるNASAの警告なんか無視して 〃
慣性の法則はもう壊れたし動いていいよ奈良の大仏 〃
【宇宙の 法則が 乱れる!】
木下さんが歌われていた「鯛めしタイムマシン」という朗読ラップを聴いていたときにおもしろいなと思ったのが、「たいめし」と「たいむましん」の接着だったんです。韻律で接着しているんだけれど、「タイムマシン」がくっつくことによって、〈時空の乱れ〉が起こる。「鯛めし」という日常的でもないけれど非日常でもない食べ物に「タイムマシン」がくっつくことによって次元がきりひらかれる。
で、ちょっと思ったのが木下さんの短歌のひとつの詩的跳躍として〈慣性系の破砕〉があるのかなあっておもったんです。言い換えれば、「宇宙の法則が乱れる」しゅんかんをふいにとらえる。
上の三首がそうなんですが、どれも〈慣性〉がこわれることによって新しい時空間が出現する歌なんじゃないかとおもうんですね。
「慣性の法則はもう壊れた」から「奈良の大仏」に動いていいよ、という。あるいは「NASAの警告」を無視して「ぼくたち」が「月でアダムとイブになる」のは、それはもう〈人類史の慣性系〉を無視しているとおもうんですよ。
だからこそ、「何もかもわかったような顔をしてそこに座って待っていなさい」と言えるようにおもうんです。いずれ慣性系がこわれることがわかっているから。
だから、たとえば、ハンカチ落としの時空間がこわれ/うまれると、
ハンカチを落としましたよああこれは僕が鬼だということですか 木下龍也
ヒッチコック『サイコ』(1960)。室内空間のアングルの撮り方がたとえばゲームの『バイオハザード』の洋館のアングルなんかともすごくよく似ていて、つまりアングルや表現のありかたが非常に特徴的な映画なんですが、表現だけでなく、内容もひじょうにわかりやすい、けれどいろんなかたちで読み込める構造をつくっていておもしろいんですね。この映画っていろんなものを〈回避〉するのが特徴的なんです、とくに〈死〉を。殺人をめぐる映画だし、シャワーシーンで女のひとが惨殺されるシーンがとっても有名なんだけれど、でも刺すしゅんかんはうつらない(ちなみに血はチョコレートソースを使ってる。それも〈回避〉)。それからこの映画では〈はじめから死んでいるひとが生きている映画〉でもあるんだけれど、それも〈死〉の回避になっている。ところが回避してきた〈ゾンビ的慣性系〉が最終的に壊れる映画になっているんです。木下さんの歌にならえば大仏が動き出すのがラストシーンです。でもタイトルは「サイコ(心理)」だから、どこまでが心理でどこからが心理なのかも実はよくわからない。つまりこの映画、タイトルですでに物語の重心や核心を〈回避〉しているともいえると思うんですよ。
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