【感想】小さめにきざんでおいてくれないか口を大きく開ける気はない 中澤系
- 2016/03/04
- 12:00
小さめにきざんでおいてくれないか口を大きく開ける気はない 中澤系
【生き抜くための怠慢】
中澤系さんの短歌には〈怠慢〉っていうテーマがあるように思うんですね。しかも、積極的な〈怠慢〉です。なんていうんでしょう、生き抜くための〈怠慢〉といってもいいかもしれない。
中澤さんの歌は「3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」の歌が有名だけれど、あれも、「理解させる気はない」歌ですよね。説明はしない。〈怠惰〉なんです。
たとえばこんな歌もあります。
メリーゴーランドを止めるスイッチはどこですかそれともありませんか 中澤系
これも〈怠惰〉の歌だと思うんですね。「スイッチ」をさがす。なにかこう暴力でとめるとか、みんなでとめるとか、破壊するとか、ただ壊れるのを待つとか、止めさせるとかではなくて、ワンボタンのスイッチをさがす。それで「止める」。
で、〈怠惰〉ってネガティヴな価値としてとらえられがちだけれど、でも、ポジティヴな側面もあると思うんです。
かみくだくこと解釈はゆっくりと唾液まみれにされていくんだ 中澤系
「かみくだくこと」は怠惰ではない、むしろ〈ていないな行為〉です。でも、そういうていねいさによって「解釈」が「唾液まみれ」になっていく。ここには〈ていねいな行為〉が実はそれそのものを〈汚染〉するような〈暴力的介入〉になってしまっている瞬間が歌われているんじゃないかとおもうんです。
動け、走れ、働け、愛せ、話せ、交われ、立ち上がれ、と言われ続ける社会だけれども、でもそのことによって〈生〉がじぶんじしんから奪われて、〈生〉が管理されるような様態になってしまうときがある。たとえば「理解できない」ひとに「理解」させて「下がらせる」のもある意味で、〈生〉の管理だとおもうんですよ。
〈ていねいな介入〉を受けることで、じぶんじしんの〈生〉が〈汚染〉されていく。そのとき、それに立ち向かうのは、ひとつ、〈怠惰〉があるんじゃないかとおもうんです。
生の管理を〈どう〉可視化するか。
秩序 そう今日だって君は右足と左足を使って歩いたじゃん 中澤系
押井守『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)。押井作品のコンセプトに、〈生の管理〉があるように思うんです。わたしたちはどれだけ自由に生きていても、実はその生は管理されている。ただそれに気がついていないだけなんだっていう。この「うる星やつら」もそうで、そういった押井色で、高橋留美子カラーの〈生の祝祭〉のようなものがなくなっています。でもそのかわりにひとつのアニメ論のようにもなっている。アニメってそもそもはキャラクターの生を管理する表現そのものなので、アニメのなかで〈生の管理〉を問うってたぶんアニメ論になっていくと思うんですよ。ちょっと中澤系さんの短歌と押井守アニメーションは親和性があるようにおもう。
【生き抜くための怠慢】
中澤系さんの短歌には〈怠慢〉っていうテーマがあるように思うんですね。しかも、積極的な〈怠慢〉です。なんていうんでしょう、生き抜くための〈怠慢〉といってもいいかもしれない。
中澤さんの歌は「3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって」の歌が有名だけれど、あれも、「理解させる気はない」歌ですよね。説明はしない。〈怠惰〉なんです。
たとえばこんな歌もあります。
メリーゴーランドを止めるスイッチはどこですかそれともありませんか 中澤系
これも〈怠惰〉の歌だと思うんですね。「スイッチ」をさがす。なにかこう暴力でとめるとか、みんなでとめるとか、破壊するとか、ただ壊れるのを待つとか、止めさせるとかではなくて、ワンボタンのスイッチをさがす。それで「止める」。
で、〈怠惰〉ってネガティヴな価値としてとらえられがちだけれど、でも、ポジティヴな側面もあると思うんです。
かみくだくこと解釈はゆっくりと唾液まみれにされていくんだ 中澤系
「かみくだくこと」は怠惰ではない、むしろ〈ていないな行為〉です。でも、そういうていねいさによって「解釈」が「唾液まみれ」になっていく。ここには〈ていねいな行為〉が実はそれそのものを〈汚染〉するような〈暴力的介入〉になってしまっている瞬間が歌われているんじゃないかとおもうんです。
動け、走れ、働け、愛せ、話せ、交われ、立ち上がれ、と言われ続ける社会だけれども、でもそのことによって〈生〉がじぶんじしんから奪われて、〈生〉が管理されるような様態になってしまうときがある。たとえば「理解できない」ひとに「理解」させて「下がらせる」のもある意味で、〈生〉の管理だとおもうんですよ。
〈ていねいな介入〉を受けることで、じぶんじしんの〈生〉が〈汚染〉されていく。そのとき、それに立ち向かうのは、ひとつ、〈怠惰〉があるんじゃないかとおもうんです。
生の管理を〈どう〉可視化するか。
秩序 そう今日だって君は右足と左足を使って歩いたじゃん 中澤系
押井守『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)。押井作品のコンセプトに、〈生の管理〉があるように思うんです。わたしたちはどれだけ自由に生きていても、実はその生は管理されている。ただそれに気がついていないだけなんだっていう。この「うる星やつら」もそうで、そういった押井色で、高橋留美子カラーの〈生の祝祭〉のようなものがなくなっています。でもそのかわりにひとつのアニメ論のようにもなっている。アニメってそもそもはキャラクターの生を管理する表現そのものなので、アニメのなかで〈生の管理〉を問うってたぶんアニメ論になっていくと思うんですよ。ちょっと中澤系さんの短歌と押井守アニメーションは親和性があるようにおもう。
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