【感想】家のなかにいることが大好きになれる俳句-部屋のなかで冒険しよう-
- 2016/03/07
- 23:58
冬の金魚家は安全だと思う 越智友亮
わが部屋のきれいな四角夏痩す 高柳克弘
エアコン大好き二人で部屋に飾るリボン 長嶋有
【室内俳句をさがせ!】
前から少し気になっていたんですが、俳句のなかには〈家にいることが好きなひとたち〉がときどき出てくるような気がするんですね。わたしも家のなかにいることが好きなので、そういう俳句が好きなのですが、なんといえばいいのか、〈正面きったインドア派〉といえばいいのか、ともかく〈家のなか〉が俳句化されていく。
その最たるものが越智さんの「家は安全だと思う」だとおもうんですよ。
でも、「冬の金魚」のようにこの句って入れ子式になっているというか、この「冬の金魚」を囲む〈金魚鉢〉を囲むこの〈部屋〉を囲むこの〈家〉も、実は〈金魚鉢〉のようにいつどうなるかはわからない不安定さを抱えているわけで、「家は安全だと思う」の「思う」というぼんやりした感じが逆に〈非・安全感〉をだしているとおもうんです。いくら語り手が「思」ったとしても構造的には安全ではないかもしれない。
高柳さんのもたぶん〈家のなか〉がとても好きな語り手で、部屋にたくさんいるから、「きれいな四角」にきづいた。で、その無機的な質感が「夏痩」という身体がだんだんやせほそって無機物に近づいていく感じと共鳴しあっているんじゃないかとおもう。この「きれいな四角」ってたぶん〈棺〉などの無機質な直角とも対照されているとおもうんです。〈死〉のイメージです。
長嶋さんの俳句は「エアコン大好き」で「二人で部屋に」リボンを飾っているので、もうほんとにこの部屋をフル活用するって感じだとおもうんです。「エアコン」ってなにかっていうと、つまり〈外気〉の排除だとおもうんですよ。夏の空気はいらないんだ、エアコンの部屋の冷気が大事なんだという、しかも外の風物はいらないんだ、部屋のなかにリボンを飾ってこれを二人で眺めて暮らせばそれでいいんだ、というすごくたくさん〈部屋のなかにいられる〉句だとおもいます。
こんなふうに部屋のなかをめぐる俳句がある。そういえば、こんな句も部屋をめぐる句なんじゃないかと思うんですよ。これからこの部屋で暮らすことにうきうきしている感じがある。
数ページの哲学あした来るソファー 西原天気
ベルイマン『秋のソナタ』(1978)。室内映画といえばベルイマンなんじゃないかと思うんです。演劇を映画化するようにベルイマンは室内で映画を撮りつづけた。それってひとつは大きな象徴として、人物たちが《どこにもいけない》ことをあらわしていると思うんです。そして《どこにもいけない》からこそ、《対話して対話して対話しつづける》しかない。それしか《出口》がない。しかも外部はないので、ドラマはすべて人物たちの《顔》で起こっていく。顔が変化する風景になっていく。そういう室内における顔のせめぎあいを描いたのがベルイマンだったんじゃないか。
わが部屋のきれいな四角夏痩す 高柳克弘
エアコン大好き二人で部屋に飾るリボン 長嶋有
【室内俳句をさがせ!】
前から少し気になっていたんですが、俳句のなかには〈家にいることが好きなひとたち〉がときどき出てくるような気がするんですね。わたしも家のなかにいることが好きなので、そういう俳句が好きなのですが、なんといえばいいのか、〈正面きったインドア派〉といえばいいのか、ともかく〈家のなか〉が俳句化されていく。
その最たるものが越智さんの「家は安全だと思う」だとおもうんですよ。
でも、「冬の金魚」のようにこの句って入れ子式になっているというか、この「冬の金魚」を囲む〈金魚鉢〉を囲むこの〈部屋〉を囲むこの〈家〉も、実は〈金魚鉢〉のようにいつどうなるかはわからない不安定さを抱えているわけで、「家は安全だと思う」の「思う」というぼんやりした感じが逆に〈非・安全感〉をだしているとおもうんです。いくら語り手が「思」ったとしても構造的には安全ではないかもしれない。
高柳さんのもたぶん〈家のなか〉がとても好きな語り手で、部屋にたくさんいるから、「きれいな四角」にきづいた。で、その無機的な質感が「夏痩」という身体がだんだんやせほそって無機物に近づいていく感じと共鳴しあっているんじゃないかとおもう。この「きれいな四角」ってたぶん〈棺〉などの無機質な直角とも対照されているとおもうんです。〈死〉のイメージです。
長嶋さんの俳句は「エアコン大好き」で「二人で部屋に」リボンを飾っているので、もうほんとにこの部屋をフル活用するって感じだとおもうんです。「エアコン」ってなにかっていうと、つまり〈外気〉の排除だとおもうんですよ。夏の空気はいらないんだ、エアコンの部屋の冷気が大事なんだという、しかも外の風物はいらないんだ、部屋のなかにリボンを飾ってこれを二人で眺めて暮らせばそれでいいんだ、というすごくたくさん〈部屋のなかにいられる〉句だとおもいます。
こんなふうに部屋のなかをめぐる俳句がある。そういえば、こんな句も部屋をめぐる句なんじゃないかと思うんですよ。これからこの部屋で暮らすことにうきうきしている感じがある。
数ページの哲学あした来るソファー 西原天気
ベルイマン『秋のソナタ』(1978)。室内映画といえばベルイマンなんじゃないかと思うんです。演劇を映画化するようにベルイマンは室内で映画を撮りつづけた。それってひとつは大きな象徴として、人物たちが《どこにもいけない》ことをあらわしていると思うんです。そして《どこにもいけない》からこそ、《対話して対話して対話しつづける》しかない。それしか《出口》がない。しかも外部はないので、ドラマはすべて人物たちの《顔》で起こっていく。顔が変化する風景になっていく。そういう室内における顔のせめぎあいを描いたのがベルイマンだったんじゃないか。
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