【感想】正論でもきみでも触れえぬ場所にあるあかいかたちを守りておりぬ 野口あや子
- 2016/03/08
- 17:44
正論でもきみでも触れえぬ場所にあるあかいかたちを守りておりぬ 野口あや子
【大いに語るのは誰なのか】
野口さんの短歌のなかで〈触れる/触れない/触れえない〉って大事なキーワードだと思うんですが、この「あかいかたち」って野口さんの短歌のなかでさまざまに変奏されて出てきているんじゃないかと思うんですね。
舐められた傷口がまた甘いから痛いいたいと繰り返してた 野口あや子
窓ぎわにあかいタチアオイ見えていてそこしか触れないなんてよわむし 〃
口内炎かわされながらしてるキス 嫌だったずっとずっと嫌だった 〃
しゅーせーえき、と薄桃の舌で言われたり古き愛語のようにさみしい 〃
で、こんなふうに「あかいかたち」が変奏されていくと外堀から〈意味〉がかためられている感じになって、で、この「あかいかたち」はこういう意味なんじゃないかと〈解釈〉したくなるんじゃないかと思うんです。
でも、いちばん上に引用した歌は、その〈解釈〉を禁じる歌なんじゃないかとおもうんです。「触れるな」という。
つまり、「あかいかたち」という表現によって〈解釈〉することを喚起させながらも、そこは〈解釈〉せずに、そもそも解釈しようとしたその欲望を考えろ、という歌のようにもおもうんですよ。
で、これはよく考えることなんですが、〈解釈〉って欲望や権力とどうしても切り離せないところがあるんですよね。この意味は、こういう意味だ、っていうのはある意味、その作品を〈所有〉することです。
たとえば明治の話になってしまうけれど、樋口一葉が出てきたときに、樋口一葉を作家として持ち上げたのはそれはすべて男性作家たちだったけれど、樋口一葉を作家として持ち上げながらも男性的な枠組みのなかにいいように〈所有化〉しようとしていたところもあったんじゃないかと思うんですね。
なにかについて語るっていうのは、かならずそういう権力的な側面があって、〈解釈〉の難しさってつねに〈なにを語るか〉ではなくて、〈どう語ってしまったか〉にあると思うんですよ。
たとえばそれは田丸まひるさんの短歌や榊陽子さんの川柳も〈どう〉解釈するかというのはいつもそういう語る人間というか解釈する人間そのものの立ち位置を問いかけているところがあると思うんですよね。
で、野口さんの短歌は〈触れる/触れない/触れえない〉が主題化されていくことによって、その解釈しようとする者の〈触知〉の質感を浮き彫りにしようとしてるところもあるんじゃないかとおもうんです。「あかいかたち」を「あかいかたち」のままにしておかないおまえのその守りきれなかった「あかいかたち」を問え、と。
自己批判に金玉がない そのことを教養などと言っているなり 野口あや子
ジャック・リヴェット『美しき諍い女』(1991)。238分もあるすごく長い映画なんですよ。その長い時間のなかで、ある画家が女の裸体を描いている。で、いろんな要求をつきつけていくんです。でもモデルの女性もその要求を拒否したりして画家を挑発する。そこに《諍い》が起こりながらも絵を描くプロセスが進行していく。で、ここにあるのは、《解釈する者》と《解釈される者》の葛藤というか闘いだとおもうんです。絵を描く/描かれる、見る/見られるが決して静態的に進行していくのではなくて、見る者は見られ、試される。で、どのどちらにも決着がつかない状態がえんえんと続いていく。ある意味で、「あかいかたち」を手にどちらも手に入れられない238分なんです。
【大いに語るのは誰なのか】
野口さんの短歌のなかで〈触れる/触れない/触れえない〉って大事なキーワードだと思うんですが、この「あかいかたち」って野口さんの短歌のなかでさまざまに変奏されて出てきているんじゃないかと思うんですね。
舐められた傷口がまた甘いから痛いいたいと繰り返してた 野口あや子
窓ぎわにあかいタチアオイ見えていてそこしか触れないなんてよわむし 〃
口内炎かわされながらしてるキス 嫌だったずっとずっと嫌だった 〃
しゅーせーえき、と薄桃の舌で言われたり古き愛語のようにさみしい 〃
で、こんなふうに「あかいかたち」が変奏されていくと外堀から〈意味〉がかためられている感じになって、で、この「あかいかたち」はこういう意味なんじゃないかと〈解釈〉したくなるんじゃないかと思うんです。
でも、いちばん上に引用した歌は、その〈解釈〉を禁じる歌なんじゃないかとおもうんです。「触れるな」という。
つまり、「あかいかたち」という表現によって〈解釈〉することを喚起させながらも、そこは〈解釈〉せずに、そもそも解釈しようとしたその欲望を考えろ、という歌のようにもおもうんですよ。
で、これはよく考えることなんですが、〈解釈〉って欲望や権力とどうしても切り離せないところがあるんですよね。この意味は、こういう意味だ、っていうのはある意味、その作品を〈所有〉することです。
たとえば明治の話になってしまうけれど、樋口一葉が出てきたときに、樋口一葉を作家として持ち上げたのはそれはすべて男性作家たちだったけれど、樋口一葉を作家として持ち上げながらも男性的な枠組みのなかにいいように〈所有化〉しようとしていたところもあったんじゃないかと思うんですね。
なにかについて語るっていうのは、かならずそういう権力的な側面があって、〈解釈〉の難しさってつねに〈なにを語るか〉ではなくて、〈どう語ってしまったか〉にあると思うんですよ。
たとえばそれは田丸まひるさんの短歌や榊陽子さんの川柳も〈どう〉解釈するかというのはいつもそういう語る人間というか解釈する人間そのものの立ち位置を問いかけているところがあると思うんですよね。
で、野口さんの短歌は〈触れる/触れない/触れえない〉が主題化されていくことによって、その解釈しようとする者の〈触知〉の質感を浮き彫りにしようとしてるところもあるんじゃないかとおもうんです。「あかいかたち」を「あかいかたち」のままにしておかないおまえのその守りきれなかった「あかいかたち」を問え、と。
自己批判に金玉がない そのことを教養などと言っているなり 野口あや子
ジャック・リヴェット『美しき諍い女』(1991)。238分もあるすごく長い映画なんですよ。その長い時間のなかで、ある画家が女の裸体を描いている。で、いろんな要求をつきつけていくんです。でもモデルの女性もその要求を拒否したりして画家を挑発する。そこに《諍い》が起こりながらも絵を描くプロセスが進行していく。で、ここにあるのは、《解釈する者》と《解釈される者》の葛藤というか闘いだとおもうんです。絵を描く/描かれる、見る/見られるが決して静態的に進行していくのではなくて、見る者は見られ、試される。で、どのどちらにも決着がつかない状態がえんえんと続いていく。ある意味で、「あかいかたち」を手にどちらも手に入れられない238分なんです。
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