【短歌】Kさんに…(毎日新聞・毎日歌壇2016年3月14日・米川千嘉子 選)
- 2016/03/14
- 14:33
Kさんにいろいろききたいことがある 漱石の肩にあたまを載せる 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2016年3月14日・米川千嘉子 選)
私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかったのです。しかし俯伏しになっている彼の顔を、こうして下から覗き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。ぞっとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。 夏目漱石『こころ』
「御前は平生からよく分らない男だった。それでも、いつか分る時機が来るだろうと思って今日までつきあっていた。然し今度と云う今度は、全く分らない人間だと、おれもあきらめてしまった。世の中に分らない人間程危険なものはない。何をするんだか、何を考えているんだか安心が出来ない。」 夏目漱石『それから』
【Kさんのこと、Hさんのこと】
漱石の小説のなかで、ひとり、「おまえはずっと何を考えているのかよくわからない人間だった。もうおまえとは会わないから」って引導をわたされる人間がいて、それは『それから』の長井代助なんですね。
で、代助は、とつぜん、職をさがさなきゃ! ってちょっとあたまがへんになって、電車にかけこんで、「脳が焦げる脳が焦げる」っていいながらそのまま電車に乗り続けて小説は終わるんだけれど、この『それから』の大事な点は代助が愛するひとも家族も地位もお金も考えるちからもすべて失ってもそれでも「生きていた」ってことなんじゃないかとおもうんです。生きている点で抑圧はされていない。だからこそ「脳が焦げる赤いぐるぐるがみえる」と発話できるわけです。
ところが『こころ』で自殺したKは死んじゃったので誰にいわれたわけでもないけれど「よくわからない人間」になってしまった。なんで自殺したのかも実はよくわからないし、ほんとうは何を考えていたのかもわからない。しかもすべて「わたし」を通した「先生」の視点で語られているのでさらによくわからない。
〈死ぬ〉っていうのは言語的な抑圧をうけることだとおもうんです。死ぬとにどと発話できない。いつも死者を語るのは生者です。
その点において、KはどこまでいってもKだとおもうんですね。Kに〈名前〉を与えることはできない。〈名前〉を与えることは、意味を与えることだからです。
でも、ひとは、それでも死者にきいてみたいことがある。その〈それでも〉をずっとかんがえつづけていくのが〈文学〉なのかなと、ときどき、おもうんです。
読書はひとつの友情である。われわれ生きている者は、考えてみればまだ現役になっていない死者に過ぎない。 プルースト「読書について」
私死者だわ。
生きてないわ。
息をするより早く、電車が走り、移動をしながら影をまきちらし、どこにも足跡を残すことはないまま海へと帰っていくつもり。
光っている星の数が、少しずつ変化していることにも気づけないまま、私は死んでいくから、宇宙に少しだってかかわることはできない。
人類史はどこかのだれかが動かしていて、私は、ただそこであってもなくってもいい部品として生きている。
ほんとうに必要とされるのは、女性ではないってこと。人間ではないってこと。星にとって、それらがなんの意味も持たないってこと。
存在って何。ライオンが、キリンを狩るよりも無意味な、私の裁縫や天体観測。
せめてだれかを殺したり生んだりすれば、ちょっとは変えられるのかもしれなかった。
私に気づいてもらえるなら、なんだってするわと隣のクラスの女子が言った。
彼女、だれを生むこともなく殺すこともなかったのだから、優しかった。
冬の自さつ。
けれどみんな、とっくに聞き飽きた話題だった。
最果タヒ「死者と死者」
(毎日新聞・毎日歌壇2016年3月14日・米川千嘉子 選)
私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかったのです。しかし俯伏しになっている彼の顔を、こうして下から覗き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。ぞっとしたばかりではないのです。彼の頭が非常に重たく感ぜられたのです。 夏目漱石『こころ』
「御前は平生からよく分らない男だった。それでも、いつか分る時機が来るだろうと思って今日までつきあっていた。然し今度と云う今度は、全く分らない人間だと、おれもあきらめてしまった。世の中に分らない人間程危険なものはない。何をするんだか、何を考えているんだか安心が出来ない。」 夏目漱石『それから』
【Kさんのこと、Hさんのこと】
漱石の小説のなかで、ひとり、「おまえはずっと何を考えているのかよくわからない人間だった。もうおまえとは会わないから」って引導をわたされる人間がいて、それは『それから』の長井代助なんですね。
で、代助は、とつぜん、職をさがさなきゃ! ってちょっとあたまがへんになって、電車にかけこんで、「脳が焦げる脳が焦げる」っていいながらそのまま電車に乗り続けて小説は終わるんだけれど、この『それから』の大事な点は代助が愛するひとも家族も地位もお金も考えるちからもすべて失ってもそれでも「生きていた」ってことなんじゃないかとおもうんです。生きている点で抑圧はされていない。だからこそ「脳が焦げる赤いぐるぐるがみえる」と発話できるわけです。
ところが『こころ』で自殺したKは死んじゃったので誰にいわれたわけでもないけれど「よくわからない人間」になってしまった。なんで自殺したのかも実はよくわからないし、ほんとうは何を考えていたのかもわからない。しかもすべて「わたし」を通した「先生」の視点で語られているのでさらによくわからない。
〈死ぬ〉っていうのは言語的な抑圧をうけることだとおもうんです。死ぬとにどと発話できない。いつも死者を語るのは生者です。
その点において、KはどこまでいってもKだとおもうんですね。Kに〈名前〉を与えることはできない。〈名前〉を与えることは、意味を与えることだからです。
でも、ひとは、それでも死者にきいてみたいことがある。その〈それでも〉をずっとかんがえつづけていくのが〈文学〉なのかなと、ときどき、おもうんです。
読書はひとつの友情である。われわれ生きている者は、考えてみればまだ現役になっていない死者に過ぎない。 プルースト「読書について」
私死者だわ。
生きてないわ。
息をするより早く、電車が走り、移動をしながら影をまきちらし、どこにも足跡を残すことはないまま海へと帰っていくつもり。
光っている星の数が、少しずつ変化していることにも気づけないまま、私は死んでいくから、宇宙に少しだってかかわることはできない。
人類史はどこかのだれかが動かしていて、私は、ただそこであってもなくってもいい部品として生きている。
ほんとうに必要とされるのは、女性ではないってこと。人間ではないってこと。星にとって、それらがなんの意味も持たないってこと。
存在って何。ライオンが、キリンを狩るよりも無意味な、私の裁縫や天体観測。
せめてだれかを殺したり生んだりすれば、ちょっとは変えられるのかもしれなかった。
私に気づいてもらえるなら、なんだってするわと隣のクラスの女子が言った。
彼女、だれを生むこともなく殺すこともなかったのだから、優しかった。
冬の自さつ。
けれどみんな、とっくに聞き飽きた話題だった。
最果タヒ「死者と死者」
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