【感想】乳房ふたつ横むきに寝てわれとちがふ考へごとをしてゐるやうな 米川千嘉子
- 2016/03/14
- 17:23
乳房ふたつ横むきに寝てわれとちがふ考へごとをしてゐるやうな 米川千嘉子
【身体を、さがす】
米川さんの歌集『たましひに着る服なくて』からの一首です。
この歌集のタイトルが象徴的だと思うんですが、〈たましひ〉と〈身体〉の過不足のような凸凹したかんじが米川さんの短歌の身体観になっているのではないかとおもうんです。
たとえば、魂の衣服は身体だって過不足なく魂と身体が調和をとっているひともいるわけです。たとえば、ボディビルダーのひとなんかはそうかもしれません。全身全霊でからだをきたえて、その熱意でもって理想どおりの筋肉質のからだをつくっていく。そこにはマッスルで幸福な魂と身体の同調があるかもしれません、というよりもむしろそこは同調しないとからだづくりはできないとおもいます。筋肉ができるたびに不惑をかかえて自信をなくしてはボディビルディングできない。
でもこの米川さんの短歌のなかの身体はそういう魂と同調する身体ではない。
試着室でなかなか服がきまらないように、たましいに見合った身体もみつからない。むしろその身体にたましい自身がおびやかされているいうな気すらある。
たとえばそれは「乳房」の方向としてあらわれています。じぶんの意志とは無関係に方向をたがえる「乳房」。この「乳房」というのは〈文化のなかの乳房〉としてジェンダー学からもさまざまに論じられてきたけれど、偏差をともなって社会の文脈のなかでさまざまに表象されてきたのも乳房です。たとえば乳ガンキャンペーンの広告では、〈乳房はこうあらねばならない〉と偏差をもって表象されることがある。そのとき、わたしの〈内面〉は〈乳房〉とともにそこに強制的に一致させていかなかればならないとともに、どうしても〈疎外〉される部分がでてくる。
そういう「乳房」は偏差がクロスする〈わたし〉と〈社会/文化〉の接点にもなる。
そのとき、〈身体〉を〈服〉として、相対化する視点が大事なような気がするのです。身体はけっして所有化できるものではなくて、表象によって社会や文化から簒奪されてあるものかもしれない。
だとしたら、その違和感を〈わたし〉の言語表象によってたえず反復しつづけるしかない。わたしの身体をおとなしくさせておかないで、〈びっくり〉させること。
たとえば、わたしの眠る身体も、また、わたしやわたしを取り巻く他者を〈びっくり〉させるものです。
子とその友驚き見たりぐらぐらと揺れて突然眠りたるわれを 米川千嘉子
プレイステーションゲーム『クーロンズ・ゲート』(1997)。『クーロンズ・ゲート』が今でも斬新だったと思えるのは、ドットでは絶対に表象不可能な〈CG的身体〉を見いだした点です。〈CG的身体〉とは統制のとれた身体ではなく、いわば、いびつな身体にしかならない。だったらそれを極限までデザインした身体にしよう。それが『クーロンズ・ゲート』のコンセプトだったんじゃないかとおもう。FF7の身体は今みると違和感があるんだけれど、『クーロンズ・ゲート』の身体はいま見てもこのときにしかできなかった身体なんだなっておもうんです。
【身体を、さがす】
米川さんの歌集『たましひに着る服なくて』からの一首です。
この歌集のタイトルが象徴的だと思うんですが、〈たましひ〉と〈身体〉の過不足のような凸凹したかんじが米川さんの短歌の身体観になっているのではないかとおもうんです。
たとえば、魂の衣服は身体だって過不足なく魂と身体が調和をとっているひともいるわけです。たとえば、ボディビルダーのひとなんかはそうかもしれません。全身全霊でからだをきたえて、その熱意でもって理想どおりの筋肉質のからだをつくっていく。そこにはマッスルで幸福な魂と身体の同調があるかもしれません、というよりもむしろそこは同調しないとからだづくりはできないとおもいます。筋肉ができるたびに不惑をかかえて自信をなくしてはボディビルディングできない。
でもこの米川さんの短歌のなかの身体はそういう魂と同調する身体ではない。
試着室でなかなか服がきまらないように、たましいに見合った身体もみつからない。むしろその身体にたましい自身がおびやかされているいうな気すらある。
たとえばそれは「乳房」の方向としてあらわれています。じぶんの意志とは無関係に方向をたがえる「乳房」。この「乳房」というのは〈文化のなかの乳房〉としてジェンダー学からもさまざまに論じられてきたけれど、偏差をともなって社会の文脈のなかでさまざまに表象されてきたのも乳房です。たとえば乳ガンキャンペーンの広告では、〈乳房はこうあらねばならない〉と偏差をもって表象されることがある。そのとき、わたしの〈内面〉は〈乳房〉とともにそこに強制的に一致させていかなかればならないとともに、どうしても〈疎外〉される部分がでてくる。
そういう「乳房」は偏差がクロスする〈わたし〉と〈社会/文化〉の接点にもなる。
そのとき、〈身体〉を〈服〉として、相対化する視点が大事なような気がするのです。身体はけっして所有化できるものではなくて、表象によって社会や文化から簒奪されてあるものかもしれない。
だとしたら、その違和感を〈わたし〉の言語表象によってたえず反復しつづけるしかない。わたしの身体をおとなしくさせておかないで、〈びっくり〉させること。
たとえば、わたしの眠る身体も、また、わたしやわたしを取り巻く他者を〈びっくり〉させるものです。
子とその友驚き見たりぐらぐらと揺れて突然眠りたるわれを 米川千嘉子
プレイステーションゲーム『クーロンズ・ゲート』(1997)。『クーロンズ・ゲート』が今でも斬新だったと思えるのは、ドットでは絶対に表象不可能な〈CG的身体〉を見いだした点です。〈CG的身体〉とは統制のとれた身体ではなく、いわば、いびつな身体にしかならない。だったらそれを極限までデザインした身体にしよう。それが『クーロンズ・ゲート』のコンセプトだったんじゃないかとおもう。FF7の身体は今みると違和感があるんだけれど、『クーロンズ・ゲート』の身体はいま見てもこのときにしかできなかった身体なんだなっておもうんです。
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