【感想】行きたくもない学校の決められたクラスの中で会いたかった人 加藤千恵
- 2016/03/17
- 00:00
行きたくもない学校の決められたクラスの中で会いたかった人 加藤千恵
【学校の隙間をさがそう】
たしか私が高校を休学していたときだったと思うんですが、新聞で加藤千恵さんの短歌が紹介されていてそれをみた瞬間、あっ短歌ってなんかすごいな、っておもったんですよ。そこから現代短歌に入っていくでもなかったんですが、でもそのことはよく覚えているんですよ。
で、今考えてみるとそのときわたしには加藤さんが立てていた〈学校をめぐる言説〉がすごく新しくみえたんじゃないかとおもうんです。
新しい学校主義、というかなんといえばいいのかよくわからないけれど、まず〈学校〉というのはもう制度は崩壊している場所なんですね。そこの制度からがんがんはじき出されていくひともいるだろう、でもそのなかでやっていくひともいるだろう、そういう場所です。でもそういう考えでいくと、ただたんに、学校否定主義になっていくとおもうんです。学校はよくない、みたいな。
でも、それだけでもない。学校の制度を隙間を縫うように自然と無作為にできあがってしまうランダムなコミュニティってありますよね。たまたま放課後いっしょだったひとと仲良くなってしまったとか、たまたま隣の席だったからマンガを貸し借りしているうちに仲良くなっちゃった、とか、意想外のコミュニティってできていく。そういうコミュニティの無作為性を学ぶ場所でもあるとおもうんです、学校って。そういう点は大切な点なんじゃないかとおもうんですね。
つまり、学校を否定しつつも・でも否定はしきらずに、そのなかで肯定せざるをえないことを部分的にすくいあげていく。それが加藤さんの短歌だったようにおもうんですよ。
だからうえの短歌は、「行きたくもない学校の決められたクラス」、これだけだと学校否定なんです。でもそのあとの、「クラスの中で会いたかった人」、これは意想外のコミュニティなんです。そういう〈学校の彼岸〉のような場所を加藤さんの短歌はうまくすくいあげているとおもう。そしてそれを共感するひとが学校の内にも外にもたくさんいたし、いるんだとおもう。
いま、加藤さんの短歌をあらためて読んでみて、ちょっと今日マチ子さんの『センネン画報』に近い感じもあるなっておもったんですけど、『センネン画報』も学校を舞台にしながらもその制度の隙間を縫ってできあがる空間を描いているんですね。学校内にわたしが見つけた無法地帯というか。
そうか、その制度のなかの無法地帯に気がつけばわたしも学校に行き続けることができたんだなっておもうんですよ。だからあのときのわたしには、たぶん、加藤千恵さんの短歌が、もうすこしはやく必要だったのかも、しれない。
でも、遅かったんだ。
この場所が海だったように教室は確かにわたしたちのものだった 加藤千恵
森田芳光『家族ゲーム』(1983)。学校も制度なんですが、家族も制度なんですね。ところが制度って唐突に崩壊したり内実は瓦解していたりする場合があるので、外側と内側がちぐはぐになっていたりもする。そこに家庭教師の松田優作を投入して、ちぐはぐをすべて引き受けていくドストエフスキーのようなキャラクター・松田優作をつくりあげた。それがすごい映画です。ラストの、家庭の食卓におけるマヨネーズ戦争もすごい。マヨネーズは暴力なんですよ。抑圧されたすべての。
【学校の隙間をさがそう】
たしか私が高校を休学していたときだったと思うんですが、新聞で加藤千恵さんの短歌が紹介されていてそれをみた瞬間、あっ短歌ってなんかすごいな、っておもったんですよ。そこから現代短歌に入っていくでもなかったんですが、でもそのことはよく覚えているんですよ。
で、今考えてみるとそのときわたしには加藤さんが立てていた〈学校をめぐる言説〉がすごく新しくみえたんじゃないかとおもうんです。
新しい学校主義、というかなんといえばいいのかよくわからないけれど、まず〈学校〉というのはもう制度は崩壊している場所なんですね。そこの制度からがんがんはじき出されていくひともいるだろう、でもそのなかでやっていくひともいるだろう、そういう場所です。でもそういう考えでいくと、ただたんに、学校否定主義になっていくとおもうんです。学校はよくない、みたいな。
でも、それだけでもない。学校の制度を隙間を縫うように自然と無作為にできあがってしまうランダムなコミュニティってありますよね。たまたま放課後いっしょだったひとと仲良くなってしまったとか、たまたま隣の席だったからマンガを貸し借りしているうちに仲良くなっちゃった、とか、意想外のコミュニティってできていく。そういうコミュニティの無作為性を学ぶ場所でもあるとおもうんです、学校って。そういう点は大切な点なんじゃないかとおもうんですね。
つまり、学校を否定しつつも・でも否定はしきらずに、そのなかで肯定せざるをえないことを部分的にすくいあげていく。それが加藤さんの短歌だったようにおもうんですよ。
だからうえの短歌は、「行きたくもない学校の決められたクラス」、これだけだと学校否定なんです。でもそのあとの、「クラスの中で会いたかった人」、これは意想外のコミュニティなんです。そういう〈学校の彼岸〉のような場所を加藤さんの短歌はうまくすくいあげているとおもう。そしてそれを共感するひとが学校の内にも外にもたくさんいたし、いるんだとおもう。
いま、加藤さんの短歌をあらためて読んでみて、ちょっと今日マチ子さんの『センネン画報』に近い感じもあるなっておもったんですけど、『センネン画報』も学校を舞台にしながらもその制度の隙間を縫ってできあがる空間を描いているんですね。学校内にわたしが見つけた無法地帯というか。
そうか、その制度のなかの無法地帯に気がつけばわたしも学校に行き続けることができたんだなっておもうんですよ。だからあのときのわたしには、たぶん、加藤千恵さんの短歌が、もうすこしはやく必要だったのかも、しれない。
でも、遅かったんだ。
この場所が海だったように教室は確かにわたしたちのものだった 加藤千恵
森田芳光『家族ゲーム』(1983)。学校も制度なんですが、家族も制度なんですね。ところが制度って唐突に崩壊したり内実は瓦解していたりする場合があるので、外側と内側がちぐはぐになっていたりもする。そこに家庭教師の松田優作を投入して、ちぐはぐをすべて引き受けていくドストエフスキーのようなキャラクター・松田優作をつくりあげた。それがすごい映画です。ラストの、家庭の食卓におけるマヨネーズ戦争もすごい。マヨネーズは暴力なんですよ。抑圧されたすべての。
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