【感想】いのちのかち。それは、じかん。―短歌と価値をめぐって―
- 2016/03/17
- 00:30
昼休み友だちがくれたポッキーを噛み砕いてはのみこんでいく 加藤千恵
前肢が崩折れて顔から倒れねじれて牛肉になってゆく 斉藤斎藤
【たんかは、ながい】
なにかモノやデキゴトに対して〈価値〉があるとするならば、それってその語り手の〈執念=執心〉ではないかとおもうんですね。〈こだわり〉というか、ふだんひとが〈圧縮〉してあつかっているものを〈解凍〉したときにでてくるもの。それが〈価値〉になっていくのではないか。
たとえばそういう意味合いでいうならば、ぜんぜん語られている内容は別なんだけれども、この加藤さんと斉藤さんの歌はみずからがいま立ち会っているモノとデキゴトに〈価値〉を与えようとしている歌だとおもうんです(もちろん、価値を与えようとしても失敗することはあるし、それだけデキゴトが大きい場合もあります。命はことにそうです)。
この加藤さんの「ポッキーを食べる」という圧縮を「ポッキーを噛み砕いてはのみこんでいく」という語り口に解凍すること。牛がとさつされるしゅんかんの圧縮を「前肢が崩折れて顔から倒れねじれて牛肉になってゆく」という解凍した語りに置換すること。
これが語り手が付与している〈時間の大きさ〉ということになるのではないかとおもうんです。
映画でよく主人公や大事なひとが死ぬときにスローになったりしますよね。それもふだんは圧縮された語りが解凍されて、〈時間が間延び〉することによって、そのシーンに〈価値〉を与えているということになるとおもうんですね。
けれども、もちろんその〈価値〉というのはどこまでも留保されていて、読み手がめいめいでなんらかのかたちで感じるしかないものです。感じるしかないものだけれど、でも語り手の時間が〈変質〉するような〈なにか〉がここにはあるということなんじゃないかとおもうんです。それが〈価値〉というものなんじゃないかとおもう。価値とは、よいやわるいではなく、変質です。
そしていちど解凍されてしまった言葉は、不可逆であり、圧縮不可能なことが大事なのではないかとおもう。語り手はその〈時間〉を〈記憶〉としてとどめていくのではないのかと。
死ののちもしばらく耳は残るとふ 草を踏む音、鉄琴の音 澤村斉美
ジェレミー・ブレット版『シャーロック・ホームズ』。このドラマのホームズを演じているジェレミー・ブレットの演技の特徴って、時間の〈間延び〉というか〈真空〉をつくることだと思うんですね。ホームズってじぶんの思考のなかにいて、ひとの話や問いかけを無視している(ようにみえる)ことが多いんですが、でもその〈無視〉のようにみえる〈真空〉をジェレミー・ブレットは〈表情〉を過剰につくることで表情の時間に変えているようにおもうんです。つまり、思考の深淵のなかに沈んでいるのではなくこのときホームズはむしろ表情という〈表面〉にいる。ほんとうに〈顔〉の演技がジェレミー・ブレットはすごいとおもうんですよ。顔ですべてドラマが起きているというか。
前肢が崩折れて顔から倒れねじれて牛肉になってゆく 斉藤斎藤
【たんかは、ながい】
なにかモノやデキゴトに対して〈価値〉があるとするならば、それってその語り手の〈執念=執心〉ではないかとおもうんですね。〈こだわり〉というか、ふだんひとが〈圧縮〉してあつかっているものを〈解凍〉したときにでてくるもの。それが〈価値〉になっていくのではないか。
たとえばそういう意味合いでいうならば、ぜんぜん語られている内容は別なんだけれども、この加藤さんと斉藤さんの歌はみずからがいま立ち会っているモノとデキゴトに〈価値〉を与えようとしている歌だとおもうんです(もちろん、価値を与えようとしても失敗することはあるし、それだけデキゴトが大きい場合もあります。命はことにそうです)。
この加藤さんの「ポッキーを食べる」という圧縮を「ポッキーを噛み砕いてはのみこんでいく」という語り口に解凍すること。牛がとさつされるしゅんかんの圧縮を「前肢が崩折れて顔から倒れねじれて牛肉になってゆく」という解凍した語りに置換すること。
これが語り手が付与している〈時間の大きさ〉ということになるのではないかとおもうんです。
映画でよく主人公や大事なひとが死ぬときにスローになったりしますよね。それもふだんは圧縮された語りが解凍されて、〈時間が間延び〉することによって、そのシーンに〈価値〉を与えているということになるとおもうんですね。
けれども、もちろんその〈価値〉というのはどこまでも留保されていて、読み手がめいめいでなんらかのかたちで感じるしかないものです。感じるしかないものだけれど、でも語り手の時間が〈変質〉するような〈なにか〉がここにはあるということなんじゃないかとおもうんです。それが〈価値〉というものなんじゃないかとおもう。価値とは、よいやわるいではなく、変質です。
そしていちど解凍されてしまった言葉は、不可逆であり、圧縮不可能なことが大事なのではないかとおもう。語り手はその〈時間〉を〈記憶〉としてとどめていくのではないのかと。
死ののちもしばらく耳は残るとふ 草を踏む音、鉄琴の音 澤村斉美
ジェレミー・ブレット版『シャーロック・ホームズ』。このドラマのホームズを演じているジェレミー・ブレットの演技の特徴って、時間の〈間延び〉というか〈真空〉をつくることだと思うんですね。ホームズってじぶんの思考のなかにいて、ひとの話や問いかけを無視している(ようにみえる)ことが多いんですが、でもその〈無視〉のようにみえる〈真空〉をジェレミー・ブレットは〈表情〉を過剰につくることで表情の時間に変えているようにおもうんです。つまり、思考の深淵のなかに沈んでいるのではなくこのときホームズはむしろ表情という〈表面〉にいる。ほんとうに〈顔〉の演技がジェレミー・ブレットはすごいとおもうんですよ。顔ですべてドラマが起きているというか。
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々の短歌感想