【感想】永井祐さんとガイア感覚-環境の中でたのしく暮らす-
- 2016/03/22
- 00:31
永井祐さんの短歌を読んでいくとふしぎな〈地球感覚〉というか〈大地信仰〉のような感覚がふっと湧いてくることがあるんですが、ガイア理論ってありますよね、地球と地球上のあらゆるものは一体でありひとつのいきものであるというような。ちょっとその感覚に近いような気もするんです。今ここにいるわたしはわたしを取り巻く大地や環境と一体である。
ちょっと歌を引いてみましょう。
アスファルトの感じがよくて撮ってみる もう一度 つま先を入れてみる 永井祐
去年の花見のこと覚えてるスニーカーの土のふみ心地を覚えてる 〃
食事の手とめてメールを打っている九月の光しずかなときを 〃
テレビみながらメールするメールするぼくをつつんでいる品川区 〃
朝からずっと夜だったような一日のおわりにテレビでみる隅田川 〃
何かこわれる空気の中を歩いたらあちらこちらの五月の光 〃
君と特にしゃべらず歩くそのあたりの草をむしってわたしたくなる 〃
会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい 〃
あえてこれらの短歌をまとめてみると、なにか日常のごくごくどうでもいいささやかな瑣事を収束させていく場所が〈環境〉であるように思うんですよ。その意味ではエコクリティシズム的というか、ものごとが帰着していく場所が〈わたし〉の意志を超えた〈環境(エコ)〉にあるように思うんですね。そこがものごとや意味の帰着点になっていく。大地とか土地とか光とか草とか雨とかそういう古くからある環境が日常の些事をうけとめていく。
で、そういえばです。永井さんの歌集のタイトルはおもしろいタイトルで『日本の中でたのしく暮らす』っていうんだけれども、これも「日本」をナショナリズムの観点からみているんじゃなくて、自分を取り巻く〈環境〉としてのエコとしての「日本」としてみているようにおもうんですよ。〈環境〉なんです、環境のなかで楽しく暮らす、ってことだとおもうんですよ。日本人としてたのしく暮らすってことじゃなくて、じぶんの身のまわりを意識しながら暮らすとたのしいよね、ってことです。
だから永井さんの短歌って〈環境詠〉という観点から読み直すこともできるのかなってちょっと思うんです。都市/自然という二項対立でとらえているんではなくて、〈環境〉として周囲をとらえていく、日本も品川区も環境としてとらえていく視点。
パチンコ屋の上にある月 とおくとおく とおくとおくとおくとおく海鳴り 永井祐
宮崎駿『となりのトトロ』(1988)。『となりのトトロ』でちょっと不思議に思うのが、カメラがトトロの口の中からメイをみている視点があって、つまり語り手はトトロに食われちゃっているともいえるわけですね。語り手のそもそもの存在がそういう生きているのか死んでいるのかわからないようなところからこの物語を語ってるというのがトトロのすごく不思議な点なんじゃないかと思うんですよ。生死の境目があいまいであるために、生死が問題になっていないんですよ。むしろ、その中間から物語ることがテーマになっている。
ちょっと歌を引いてみましょう。
アスファルトの感じがよくて撮ってみる もう一度 つま先を入れてみる 永井祐
去年の花見のこと覚えてるスニーカーの土のふみ心地を覚えてる 〃
食事の手とめてメールを打っている九月の光しずかなときを 〃
テレビみながらメールするメールするぼくをつつんでいる品川区 〃
朝からずっと夜だったような一日のおわりにテレビでみる隅田川 〃
何かこわれる空気の中を歩いたらあちらこちらの五月の光 〃
君と特にしゃべらず歩くそのあたりの草をむしってわたしたくなる 〃
会わなくても元気だったらいいけどな 水たまり雨粒でいそがしい 〃
あえてこれらの短歌をまとめてみると、なにか日常のごくごくどうでもいいささやかな瑣事を収束させていく場所が〈環境〉であるように思うんですよ。その意味ではエコクリティシズム的というか、ものごとが帰着していく場所が〈わたし〉の意志を超えた〈環境(エコ)〉にあるように思うんですね。そこがものごとや意味の帰着点になっていく。大地とか土地とか光とか草とか雨とかそういう古くからある環境が日常の些事をうけとめていく。
で、そういえばです。永井さんの歌集のタイトルはおもしろいタイトルで『日本の中でたのしく暮らす』っていうんだけれども、これも「日本」をナショナリズムの観点からみているんじゃなくて、自分を取り巻く〈環境〉としてのエコとしての「日本」としてみているようにおもうんですよ。〈環境〉なんです、環境のなかで楽しく暮らす、ってことだとおもうんですよ。日本人としてたのしく暮らすってことじゃなくて、じぶんの身のまわりを意識しながら暮らすとたのしいよね、ってことです。
だから永井さんの短歌って〈環境詠〉という観点から読み直すこともできるのかなってちょっと思うんです。都市/自然という二項対立でとらえているんではなくて、〈環境〉として周囲をとらえていく、日本も品川区も環境としてとらえていく視点。
パチンコ屋の上にある月 とおくとおく とおくとおくとおくとおく海鳴り 永井祐
宮崎駿『となりのトトロ』(1988)。『となりのトトロ』でちょっと不思議に思うのが、カメラがトトロの口の中からメイをみている視点があって、つまり語り手はトトロに食われちゃっているともいえるわけですね。語り手のそもそもの存在がそういう生きているのか死んでいるのかわからないようなところからこの物語を語ってるというのがトトロのすごく不思議な点なんじゃないかと思うんですよ。生死の境目があいまいであるために、生死が問題になっていないんですよ。むしろ、その中間から物語ることがテーマになっている。
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