【感想】加藤治郎さんと不気味な匿名性-ごりごりしたあなたはだれなんですかだれなんですか-
- 2016/03/22
- 23:50
誰かいっしょに死んでください鶏の小さな頭、闇にみちたり 加藤治郎
日曜の路上のガムをごりごりと削るあなたは誰なんですか誰なんですか 〃
【モンスターは物質】
今ずっと加藤さんの歌集『環状線のモンスター』を読んでいるんですね。
で、そのなかにはネットの世界を詠んだ一連の歌があるんですが、加藤さんのネットを詠んだ歌のひとつの特徴として〈物質感〉っていうのがあると思うんです。
ネット空間っていうのは匿名性の空間というよりは、実名と匿名が等価になる空間だと私は思っているんですが、それってどういうことかというと名前の価値が平板化していくところなんじゃないかと思うんですね。たとえば仮にですよ、とっぴな例かもしれないけれど、仏陀釈尊がネットをしていて「仏陀釈尊」という名前でなにかツイートしたりコメントしていたら、その仏陀釈尊という名前がどれだけ実名であったとしてもたとえそれが本人の名前であってもハンドルネームのレベルまで降りてくる空間、それがネットの空間なんじゃないかとおもうんです。
で、それってなにかというと、名前から物質性が剥ぎ取られていくことなのかなって思うんですよ。たとえば、こういう名前のひとがしにましたと書かれていても、その名前自体の物質性があらかじめ奪われている。
その〈物質感覚〉をひろいあげることでネット空間の不気味さのようなものを浮き彫りにしているのが加藤さんの歌なのかなっておもうんです。
たとえば上の二首も、「誰かいっしょに死んでください」という〈誰でもいい〉匿名的な生死の選択の状況や「あなたは誰なんですかあなたは誰なんですか」とアイデンティティをめぐる問いかけが反復しなければいけないほど失効している匿名的状況を浮かび上がらせる一方で、そこに〈物質感覚〉を併置していく。闇にみちている「鶏の小さな頭」とか、路上にはりついたガムをごりごりと削るとか、そういう〈いかんともしがたい物質感〉を据えているわけです。
で、この〈物質感〉はなんなのかっていうと、〈どこにも還元できない物質感〉だとおもうんですよ。埋め尽くされた鶏の頭やべっとり貼り付いたガムって物質的嫌悪を催すわけですよね。いやだなあって。でもその物質的嫌悪のような感覚が実はわたしたちの生命感覚の根っことも結びついているものかもしれないなとも思うんです。たとえば漱石の小説「道草」でぷりぷりした胎児をみて得体のしれない物質感覚を主人公はもつんだけれど、そのような生命をめぐる物質感覚。
物質感覚、いわば〈モンスター感覚〉のようなものを喚起する仕掛けが加藤さんの歌の魅力のひとつなのかなあって思うんですよ。
弾丸は二発ぶちこむべしべしとブリキのように頭は跳ねて 加藤治郎
デヴィッド・リンチ『エレファント・マン』(1980)。この映画って最後バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が流れて、観念論というか超越論のようなところに終着していくんですね。で、わたしはそこはこの映画の〈もろさ〉というか〈弱さ〉だったような気がするんです。エレファントマンに寄り添い続けずにそちらの方向に答えを見いだしていく。でもとっても印象的なラストになっているぶん、深く考えてしまう。観念論や超越性はときにていのいい逃げ道になってしまうんじゃないか。じゃあどんな物質的なところに線をひけばいいのか。
日曜の路上のガムをごりごりと削るあなたは誰なんですか誰なんですか 〃
【モンスターは物質】
今ずっと加藤さんの歌集『環状線のモンスター』を読んでいるんですね。
で、そのなかにはネットの世界を詠んだ一連の歌があるんですが、加藤さんのネットを詠んだ歌のひとつの特徴として〈物質感〉っていうのがあると思うんです。
ネット空間っていうのは匿名性の空間というよりは、実名と匿名が等価になる空間だと私は思っているんですが、それってどういうことかというと名前の価値が平板化していくところなんじゃないかと思うんですね。たとえば仮にですよ、とっぴな例かもしれないけれど、仏陀釈尊がネットをしていて「仏陀釈尊」という名前でなにかツイートしたりコメントしていたら、その仏陀釈尊という名前がどれだけ実名であったとしてもたとえそれが本人の名前であってもハンドルネームのレベルまで降りてくる空間、それがネットの空間なんじゃないかとおもうんです。
で、それってなにかというと、名前から物質性が剥ぎ取られていくことなのかなって思うんですよ。たとえば、こういう名前のひとがしにましたと書かれていても、その名前自体の物質性があらかじめ奪われている。
その〈物質感覚〉をひろいあげることでネット空間の不気味さのようなものを浮き彫りにしているのが加藤さんの歌なのかなっておもうんです。
たとえば上の二首も、「誰かいっしょに死んでください」という〈誰でもいい〉匿名的な生死の選択の状況や「あなたは誰なんですかあなたは誰なんですか」とアイデンティティをめぐる問いかけが反復しなければいけないほど失効している匿名的状況を浮かび上がらせる一方で、そこに〈物質感覚〉を併置していく。闇にみちている「鶏の小さな頭」とか、路上にはりついたガムをごりごりと削るとか、そういう〈いかんともしがたい物質感〉を据えているわけです。
で、この〈物質感〉はなんなのかっていうと、〈どこにも還元できない物質感〉だとおもうんですよ。埋め尽くされた鶏の頭やべっとり貼り付いたガムって物質的嫌悪を催すわけですよね。いやだなあって。でもその物質的嫌悪のような感覚が実はわたしたちの生命感覚の根っことも結びついているものかもしれないなとも思うんです。たとえば漱石の小説「道草」でぷりぷりした胎児をみて得体のしれない物質感覚を主人公はもつんだけれど、そのような生命をめぐる物質感覚。
物質感覚、いわば〈モンスター感覚〉のようなものを喚起する仕掛けが加藤さんの歌の魅力のひとつなのかなあって思うんですよ。
弾丸は二発ぶちこむべしべしとブリキのように頭は跳ねて 加藤治郎
デヴィッド・リンチ『エレファント・マン』(1980)。この映画って最後バーバーの「弦楽のためのアダージョ」が流れて、観念論というか超越論のようなところに終着していくんですね。で、わたしはそこはこの映画の〈もろさ〉というか〈弱さ〉だったような気がするんです。エレファントマンに寄り添い続けずにそちらの方向に答えを見いだしていく。でもとっても印象的なラストになっているぶん、深く考えてしまう。観念論や超越性はときにていのいい逃げ道になってしまうんじゃないか。じゃあどんな物質的なところに線をひけばいいのか。
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