【お知らせ】「【短詩時評 16号車】中澤系を〈理解〉しない-圧縮ファイル『uta0001.txt』を解凍することの困難-」『BLOG俳句新空間 第40号』
- 2016/04/01
- 01:08
『 BLOG俳句新空間 第40号』にて「【短詩時評 16号車】中澤系を〈理解〉しない-圧縮ファイル『uta0001.txt』を解凍することの困難-」という文章を載せていただきました。『BLOG俳句新空間』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
私の言う「まったり革命」には二つの面があります。一つは「今までのガンバリズムから降りようぜ」「意味を追求するのはやめようぜ」という「意味離脱」的側面ですが、もう一つの側面として、「タフになれ」という「強度獲得」的側面があるわけですよ。
宮台真司『interviews1994-2004』
中澤系さんのご兄妹でおられる中澤瓈光さんの歌集あとがきで紹介されている中澤系さんの歌集未収録の短歌にこんな歌があるんです。
薄明が日の出に変わるその時に さあ断念を買いに行こうか 中澤系
この「断念」という漢語の強度がやけに気になったんです。ここからはじめてみたいと。そういえばあの「理解」の歌だって理解という漢語をめぐる歌だったじゃないかと。
「さあ~を買いに行こうか」っていうのはありふれたフレーズです。でもそこに漢語=概念の「断念」を挿入するだけで、理解困難な歌になります。「断念を買いに行」くってどういうことなんだ、ってなるわけです。だれも概念を買ったことなんてないから。
だからずっとそのことについて考えていたんです。
わたしなりの理解でいえば、宮台真司さんは『終わりなき日常を生きろ』でこれからは〈意味〉を求めるんではなくて〈強度〉を求めて生きるありかたを提唱しました。生きる意味をつきつめてもしかたないから、生きる強度を感覚せよと。〈終わりのない日常〉を生きるには意味なんて求めても仕方がない。それよりも、そのつどどのつどつきささっていく、フックしていく〈強度〉が問題になる。だから、オウム真理教よりも、コギャルになることを提唱した。宗教的意味よりも、意味を重視しないまったり生きる強度を重視した。
この強度の感覚というものが、中澤さんの短歌では漢語としてあらわれているのではないかと思ったんです。
だからこう思ったんです。わたしたちは中澤系の「理解」という漢語をむしろ「理解」しなくてもいいんじゃないかと。そこには意味ではなく、強度があるから。
突然の平和条約(ピースパクト)をぎんいろの自動改札から手渡され 中澤系
翌朝、目が覚めて私がした事は、頭上の高速を支える橋脚に取り付けられた──おそらくは工事のための──タラップをよじ登ることだった。いまにして思えば、これが私と「私」をそれまで構成し、あくまで限られた意味の範疇において「私」を存在させてきた「社会」と呼ばれる経験的環境への脱出と回帰を目的とした、最後の自発的な行動だったと思う。
(伊藤計劃「海と孤島(1996)」『蘇る伊藤計劃』宝島社、2015年)
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
私の言う「まったり革命」には二つの面があります。一つは「今までのガンバリズムから降りようぜ」「意味を追求するのはやめようぜ」という「意味離脱」的側面ですが、もう一つの側面として、「タフになれ」という「強度獲得」的側面があるわけですよ。
宮台真司『interviews1994-2004』
中澤系さんのご兄妹でおられる中澤瓈光さんの歌集あとがきで紹介されている中澤系さんの歌集未収録の短歌にこんな歌があるんです。
薄明が日の出に変わるその時に さあ断念を買いに行こうか 中澤系
この「断念」という漢語の強度がやけに気になったんです。ここからはじめてみたいと。そういえばあの「理解」の歌だって理解という漢語をめぐる歌だったじゃないかと。
「さあ~を買いに行こうか」っていうのはありふれたフレーズです。でもそこに漢語=概念の「断念」を挿入するだけで、理解困難な歌になります。「断念を買いに行」くってどういうことなんだ、ってなるわけです。だれも概念を買ったことなんてないから。
だからずっとそのことについて考えていたんです。
わたしなりの理解でいえば、宮台真司さんは『終わりなき日常を生きろ』でこれからは〈意味〉を求めるんではなくて〈強度〉を求めて生きるありかたを提唱しました。生きる意味をつきつめてもしかたないから、生きる強度を感覚せよと。〈終わりのない日常〉を生きるには意味なんて求めても仕方がない。それよりも、そのつどどのつどつきささっていく、フックしていく〈強度〉が問題になる。だから、オウム真理教よりも、コギャルになることを提唱した。宗教的意味よりも、意味を重視しないまったり生きる強度を重視した。
この強度の感覚というものが、中澤さんの短歌では漢語としてあらわれているのではないかと思ったんです。
だからこう思ったんです。わたしたちは中澤系の「理解」という漢語をむしろ「理解」しなくてもいいんじゃないかと。そこには意味ではなく、強度があるから。
突然の平和条約(ピースパクト)をぎんいろの自動改札から手渡され 中澤系
翌朝、目が覚めて私がした事は、頭上の高速を支える橋脚に取り付けられた──おそらくは工事のための──タラップをよじ登ることだった。いまにして思えば、これが私と「私」をそれまで構成し、あくまで限られた意味の範疇において「私」を存在させてきた「社会」と呼ばれる経験的環境への脱出と回帰を目的とした、最後の自発的な行動だったと思う。
(伊藤計劃「海と孤島(1996)」『蘇る伊藤計劃』宝島社、2015年)
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