【お知らせ】はらだ有彩「4月のヤバい女の子/新生活とヤバい女の子」『アパートメント』レビュー
- 2016/04/01
- 21:37
ここを去っていく君、何を聴いてもアコースティック・ギターの期待させるような弾みに聞こえ、いつも駆け出したくなるように暮らしていますように。それがいつでも「そう」でありますように。 はらだ有彩
ウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第11回目の今月のはりーさんの文章は「新生活とヤバい女の子」という「うぐいす女房」と秘密をめぐるエッセイです。
今回ははりーさんの文章のテーマが「新生活」だったのでわたしもなにか新しいことがしたくなって、いつもははりーさんの文章のレビューを書いているのですが、今回ははりーさんの絵の感想を書いてみました。
はりーさんの絵って女の子のたんたんとした表情と身体の過激な様相のギャップがとてもおもしろいと思うんですよね。たとえば漫画家でいうなら近藤聡乃さんとか近藤ようこさんを思い浮かべる。
身体からふしぎなあたらしい次元がきりひらかれてゆく。それっておもしろいなと思ったんですね。ひとは表情はうそをつくけれど、身体はなかなか嘘はつかないから。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。
※ ※
いつまでも笑顔でひどい事をする 竹井紫乙
(『句集 白百合亭日常』)
*
今回のはりーさんのエッセイは「絵姿女房」と「新生活」をめぐる文章でした。
はりーさんが指摘されたように、私もこの「絵姿女房」のポイントって〈笑顔〉だなって思ったんですよ。
それで今回はわたしも「新生活」ならぬ新しい感想を試みてみるために、はりーさんの絵の感想にしてみようとおもうんです。
はりーさんの絵の女の子の表情をみてみると、〈無表情〉で統一されています。にっこりしているわけでもなければ、泣いているわけでもなく、なにかを叫んでいるわけでも、なにかに熱中しているわけでもない。〈表情〉の偏差ができないような〈無・表情〉が女の子の〈顔(ひょうじょう)〉として選択されているのではないかと思うんです。
そのときにこれまではりーさんのエッセイをずっと読んできたひとりの〈はりー読者〉としてはこんなふうに思うんです。女の子の笑顔はときに〈社会〉から強制され強要されたものである場合もある(この「絵姿女房」は〈笑い〉によって男が男と女を交換しあう物語です)。それは〈男たちのため〉のものである場合がある。だからはりーさんの絵の試みというのはあえて女の子たちの〈無・表情〉を描くことによって女の子たちに〈あたらしい笑顔〉を奪還させる試みなのではないかと思うんです。
女の子たちを〈こうであらねばならない笑顔〉から解放させること。
だからみてください。はりーさんの描く女の子たちは身体やアクション、挙動はすごくアグレッシブなんです。表情と身体が乖離することによって、そこに女の子の齟齬をワンクッションいれることによって、〈はじめての女の子〉をそのつどはりーさんは描こうとしているのかなとわたしはおもうわけです。
笑顔って、いつも、そのときそのときが、たぶん、はじめてのものなんですよ。
わたしも、ときどき、いわれるんです。笑って、と。
わたしは、わらってみせる。
いや、けいれんじゃなくて、笑って、ともう一度いわれる。
にやにやでもなくて。ぴくぴくでもなくて。
にっこりしてよ、と。誰の笑顔でもなく、誰に向けたものでもなく、いま初めて笑顔のまっただなかにいる、ただ笑顔のための笑顔をしてよ、と。
むずかしすぎるだろうと。それは。
でも。
*
マスクしてそれでも笑顔だとわかる 江渡華子
ウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第11回目の今月のはりーさんの文章は「新生活とヤバい女の子」という「うぐいす女房」と秘密をめぐるエッセイです。
今回ははりーさんの文章のテーマが「新生活」だったのでわたしもなにか新しいことがしたくなって、いつもははりーさんの文章のレビューを書いているのですが、今回ははりーさんの絵の感想を書いてみました。
はりーさんの絵って女の子のたんたんとした表情と身体の過激な様相のギャップがとてもおもしろいと思うんですよね。たとえば漫画家でいうなら近藤聡乃さんとか近藤ようこさんを思い浮かべる。
身体からふしぎなあたらしい次元がきりひらかれてゆく。それっておもしろいなと思ったんですね。ひとは表情はうそをつくけれど、身体はなかなか嘘はつかないから。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。
※ ※
いつまでも笑顔でひどい事をする 竹井紫乙
(『句集 白百合亭日常』)
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今回のはりーさんのエッセイは「絵姿女房」と「新生活」をめぐる文章でした。
はりーさんが指摘されたように、私もこの「絵姿女房」のポイントって〈笑顔〉だなって思ったんですよ。
それで今回はわたしも「新生活」ならぬ新しい感想を試みてみるために、はりーさんの絵の感想にしてみようとおもうんです。
はりーさんの絵の女の子の表情をみてみると、〈無表情〉で統一されています。にっこりしているわけでもなければ、泣いているわけでもなく、なにかを叫んでいるわけでも、なにかに熱中しているわけでもない。〈表情〉の偏差ができないような〈無・表情〉が女の子の〈顔(ひょうじょう)〉として選択されているのではないかと思うんです。
そのときにこれまではりーさんのエッセイをずっと読んできたひとりの〈はりー読者〉としてはこんなふうに思うんです。女の子の笑顔はときに〈社会〉から強制され強要されたものである場合もある(この「絵姿女房」は〈笑い〉によって男が男と女を交換しあう物語です)。それは〈男たちのため〉のものである場合がある。だからはりーさんの絵の試みというのはあえて女の子たちの〈無・表情〉を描くことによって女の子たちに〈あたらしい笑顔〉を奪還させる試みなのではないかと思うんです。
女の子たちを〈こうであらねばならない笑顔〉から解放させること。
だからみてください。はりーさんの描く女の子たちは身体やアクション、挙動はすごくアグレッシブなんです。表情と身体が乖離することによって、そこに女の子の齟齬をワンクッションいれることによって、〈はじめての女の子〉をそのつどはりーさんは描こうとしているのかなとわたしはおもうわけです。
笑顔って、いつも、そのときそのときが、たぶん、はじめてのものなんですよ。
わたしも、ときどき、いわれるんです。笑って、と。
わたしは、わらってみせる。
いや、けいれんじゃなくて、笑って、ともう一度いわれる。
にやにやでもなくて。ぴくぴくでもなくて。
にっこりしてよ、と。誰の笑顔でもなく、誰に向けたものでもなく、いま初めて笑顔のまっただなかにいる、ただ笑顔のための笑顔をしてよ、と。
むずかしすぎるだろうと。それは。
でも。
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