【ふしぎな川柳 第八十六夜】〈ふわっ〉とした私性-佐藤幸子-
- 2016/04/01
- 23:18
ふわっと骨折水の流れに逆らえず 佐藤幸子
【ふわっとしたリアル】
わたし、この佐藤さんの句とても好きなんですね。
で、佐藤さんのお家に遊びに行かせていただいたときに、佐藤さんがこの句は〈そのまま〉を描いたのよ、っておっしゃったんですよ。
だから佐藤さんにとってこの句って〈私小説〉的なんですね。そのまま、なんですよ。
でも、一読して〈私小説〉的にはみえませんよね。それは「ふわっと」という副詞がどう考えても「骨折」とは親和しないからです。副詞と名詞が折り合えない。だからここには齟齬があって、そんなふわっとひとは骨折するものだろうか、言語上のものじゃないだろうかって思う。
でもその一方で「水の流れ」という強圧によってひとは「ふわっと骨折」することもどこかでだんだんわかっていく。ひとはふわっと骨折することもあるし、ふわっと死ぬことだってある。その接続は、ほんとうにそのひとがその場に居合わせてしまったという〈リアル〉なんですよ(リアリティではなくて)。
リアリティは言語の親和的な接続なんです。幸福な接続です。うんうん、とうなずいて、すっといってしまう。
でも、「ふわっと骨折」は、言語の親しくない接続です。だから、みんな、たちどまる。でもここに、〈リアル〉があるようにおもうんです。ほんとうにそこに居合わせたから、〈そう〉としか接続できなかった。
「ふわっと骨折」は、リアリティではない。リアル、だとおもうんです。そしてそのリアルをひっぱりだしてくるのが言語の思いがけない接続だとおもうんです。
前例がない接続に、リアルはある。
前例がないので川は蛇行する 佐藤幸子
ウォン・カーウァイ『花様年華』(2000)。ある夫の妻が不在で、ある妻の夫は不在。そうした相手が不在中の者どうしが出会い、〈愛の予行演習〉を繰り返す映画なんですが、この映画がすばらしいのって〈セックス〉には踏み込んでいかないんですね。愛にも踏み込んでいかない。抱擁にも踏み込んでいかない。はじめから最後まで〈愛〉についてしか描いていないのに、〈愛の実践〉は描かない。ただ愛の近似値は描く。密会して、相手の夫が好きなものを食べたりとか、〈予行演習〉をするんです。でもそこに愛のリアルがでてくる。なぜなら、それってかれらしかできない〈愛の文法〉だからだとおもうんです。〈不倫〉という規範的なかたちをなぞるんではなくて、かれらがであってしまった〈愛〉のかたちをふたりでなぞっていく。ただそれだけをえんえんとスローで描いていく。そういうすごい映画です。観たあと、ああ生きててよかった、って思いました。そういう映画が百本に一本はあるからじんせいって幸福ですよね。
【ふわっとしたリアル】
わたし、この佐藤さんの句とても好きなんですね。
で、佐藤さんのお家に遊びに行かせていただいたときに、佐藤さんがこの句は〈そのまま〉を描いたのよ、っておっしゃったんですよ。
だから佐藤さんにとってこの句って〈私小説〉的なんですね。そのまま、なんですよ。
でも、一読して〈私小説〉的にはみえませんよね。それは「ふわっと」という副詞がどう考えても「骨折」とは親和しないからです。副詞と名詞が折り合えない。だからここには齟齬があって、そんなふわっとひとは骨折するものだろうか、言語上のものじゃないだろうかって思う。
でもその一方で「水の流れ」という強圧によってひとは「ふわっと骨折」することもどこかでだんだんわかっていく。ひとはふわっと骨折することもあるし、ふわっと死ぬことだってある。その接続は、ほんとうにそのひとがその場に居合わせてしまったという〈リアル〉なんですよ(リアリティではなくて)。
リアリティは言語の親和的な接続なんです。幸福な接続です。うんうん、とうなずいて、すっといってしまう。
でも、「ふわっと骨折」は、言語の親しくない接続です。だから、みんな、たちどまる。でもここに、〈リアル〉があるようにおもうんです。ほんとうにそこに居合わせたから、〈そう〉としか接続できなかった。
「ふわっと骨折」は、リアリティではない。リアル、だとおもうんです。そしてそのリアルをひっぱりだしてくるのが言語の思いがけない接続だとおもうんです。
前例がない接続に、リアルはある。
前例がないので川は蛇行する 佐藤幸子
ウォン・カーウァイ『花様年華』(2000)。ある夫の妻が不在で、ある妻の夫は不在。そうした相手が不在中の者どうしが出会い、〈愛の予行演習〉を繰り返す映画なんですが、この映画がすばらしいのって〈セックス〉には踏み込んでいかないんですね。愛にも踏み込んでいかない。抱擁にも踏み込んでいかない。はじめから最後まで〈愛〉についてしか描いていないのに、〈愛の実践〉は描かない。ただ愛の近似値は描く。密会して、相手の夫が好きなものを食べたりとか、〈予行演習〉をするんです。でもそこに愛のリアルがでてくる。なぜなら、それってかれらしかできない〈愛の文法〉だからだとおもうんです。〈不倫〉という規範的なかたちをなぞるんではなくて、かれらがであってしまった〈愛〉のかたちをふたりでなぞっていく。ただそれだけをえんえんとスローで描いていく。そういうすごい映画です。観たあと、ああ生きててよかった、って思いました。そういう映画が百本に一本はあるからじんせいって幸福ですよね。
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