【感想】瀧村小奈生さんの欅、東直子さんの楡-短詩の森のなかで-
- 2016/04/14
- 12:36
息止めて止めて止めて止めて 欅 瀧村小奈生
毒舌のおとろえ知らぬ妹のすっとんきょうな寝姿よ 楡 東直子
【樹木の認】
瀧村さんの川柳の「欅」も、東さんの短歌の「楡」も結語として凄く効いている気がするんですね。一読したしゅんかん、ああこれしかないんだ、って思ってしまう。
で、なんでだろうって考えてみると、欅も楡もとても大きな樹木だけれど、そうかんたんにもう《動きようがない》んです。そこからさきの《アクション》がない。しかも年輪って言葉があるようにこれからひゃくねんもせんねんもここに《いる》ことになるかもしれない。樹木ってそういうものだとおもうんです。《はじまり》とか《おわり》という概念がない。《ずっとここにいる》んです。
だから、息をとめつづけた瀧村さんの語り手も、すっとんきょうな妹の寝姿をみつづけた東さんの語り手も、《ここ》で《認識》が完全に停止する。でも、おわるわけじゃないんです。その認識は樹木のように欅や楡のようにこれから育っていく。この息をとめた場所で、芋者ねぞうをみたこのしゅんかんで。
それが、樹木の認識なんじゃないかとおもうんですよ。
森の中に行ってしまった妹ははじめから森の住人でした 東直子
宮崎駿『もののけ姫』(1997)。この映画の最後にそれまであった深い森はかんぜんになくなってしまって、野原になってしまいますよね。それこそ、整地された、にんげんむきの野原に。けものやもののけはもうそこでは暮らせないような認識。つまりこれってここまで育ってきた歴史的認識が枯れたことを意味しているんだとおもうんです。それまで森によって培われた神話や伝承もそこで終わってしまう。ここからはたぶん、人間の《世間話》の世界になってくる。そういうエンディングだったんじゃないかとおもうんです。
毒舌のおとろえ知らぬ妹のすっとんきょうな寝姿よ 楡 東直子
【樹木の認】
瀧村さんの川柳の「欅」も、東さんの短歌の「楡」も結語として凄く効いている気がするんですね。一読したしゅんかん、ああこれしかないんだ、って思ってしまう。
で、なんでだろうって考えてみると、欅も楡もとても大きな樹木だけれど、そうかんたんにもう《動きようがない》んです。そこからさきの《アクション》がない。しかも年輪って言葉があるようにこれからひゃくねんもせんねんもここに《いる》ことになるかもしれない。樹木ってそういうものだとおもうんです。《はじまり》とか《おわり》という概念がない。《ずっとここにいる》んです。
だから、息をとめつづけた瀧村さんの語り手も、すっとんきょうな妹の寝姿をみつづけた東さんの語り手も、《ここ》で《認識》が完全に停止する。でも、おわるわけじゃないんです。その認識は樹木のように欅や楡のようにこれから育っていく。この息をとめた場所で、芋者ねぞうをみたこのしゅんかんで。
それが、樹木の認識なんじゃないかとおもうんですよ。
森の中に行ってしまった妹ははじめから森の住人でした 東直子
宮崎駿『もののけ姫』(1997)。この映画の最後にそれまであった深い森はかんぜんになくなってしまって、野原になってしまいますよね。それこそ、整地された、にんげんむきの野原に。けものやもののけはもうそこでは暮らせないような認識。つまりこれってここまで育ってきた歴史的認識が枯れたことを意味しているんだとおもうんです。それまで森によって培われた神話や伝承もそこで終わってしまう。ここからはたぶん、人間の《世間話》の世界になってくる。そういうエンディングだったんじゃないかとおもうんです。
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