【短歌】炭酸の…(東京新聞・東京歌壇2016/4/17・東直子 選)
- 2016/04/19
- 13:33
炭酸の泡だけが響くこの部屋でシリアスな話 吐いちゃいそうだ 柳本々々
(東京新聞・東京歌壇2016/4/17・東直子 選)
【耳と文学】
この前の日曜日に中野サンプラザであった中家菜津子さんの歌集『うずく、まる』の批評会に参加したんですが、ひとつのテーマとして〈耳〉というのが出て来たんですよ。
で、〈耳〉って感覚器官としておもしろいものがあって、意識と無意識のあわいのような場所にある器官なんですね。音って、思いがけなく耳のなかにふっと入ってきたり、周囲がすごくうるさいのに自分だけは何かに集中していることでぜんぜん音が入ってこないこととかもありますよね。つまり、自分で意図して言葉の受容選択ができない器官なんです(だから〈騒音〉問題が出てくるし、めいめいが感じる歌のよさってちょっとスピリチュアルなものが入ってきたりします。ふだん聴いてるこの歌が好きとかってなかなかそのよさをダイレクトに言語化できない)。
つまり、言葉の分光器として〈耳〉ってふしぎな働きをしているんじゃないかと思うんですね。言葉がコウアルベキとか、言葉のふだんのコウアルカンジが溶解していくのが〈耳〉なんじゃないかと。
で、この批評会ではひとつのトピックとして、詩と短歌のあわいとはなんだろうかというテーマがあったんですが、そのあわいって音と音があらわれたり、なくなったりする場所、音が自動的にことばをひきずりまわしていく〈耳=音〉の場所なのかなっておもったんです(〈自走性=自奏性〉としての耳)。
〈耳の場所〉。そこに、詩と短歌の接点というか境界があったりなかったりしながら、ふしぎな感じで耳が明滅している。耳が、またたいている。その場所はなんなんだろうっていうことをずっとこの批評会でかんがえていました。
そういえば、〈うずくまる〉って行為も視覚をシャットダウンしつつ、アクションをシャットダウンしつつ、身体を休止状態におきつつ、耳を特権化していく行為なのかなあっておもうんですよね。たぶん、わたしたちが生まれるまえに、胎児としてうずくまっていたときはきっと耳だけはよかったんじゃないかと。
しかもこの〈うずくまる〉には〈うずく、まる〉っていうふうに読点が入ってくる。言語的でもあるんですね。言葉の分割線が、言葉の境界が、音として、耳として、あらわれ、はじめ、る。うずくまりつつも、耳を志向しつつも、どうじに、言語も志向している。
わたしたちがうずくまるときに、わたしたちはいつもどこにむかおうとしているんだろう。
うす紅に春のまなこはおかされてさくら、さくらんしているの 中家菜津子
遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた 東直子
(東京新聞・東京歌壇2016/4/17・東直子 選)
【耳と文学】
この前の日曜日に中野サンプラザであった中家菜津子さんの歌集『うずく、まる』の批評会に参加したんですが、ひとつのテーマとして〈耳〉というのが出て来たんですよ。
で、〈耳〉って感覚器官としておもしろいものがあって、意識と無意識のあわいのような場所にある器官なんですね。音って、思いがけなく耳のなかにふっと入ってきたり、周囲がすごくうるさいのに自分だけは何かに集中していることでぜんぜん音が入ってこないこととかもありますよね。つまり、自分で意図して言葉の受容選択ができない器官なんです(だから〈騒音〉問題が出てくるし、めいめいが感じる歌のよさってちょっとスピリチュアルなものが入ってきたりします。ふだん聴いてるこの歌が好きとかってなかなかそのよさをダイレクトに言語化できない)。
つまり、言葉の分光器として〈耳〉ってふしぎな働きをしているんじゃないかと思うんですね。言葉がコウアルベキとか、言葉のふだんのコウアルカンジが溶解していくのが〈耳〉なんじゃないかと。
で、この批評会ではひとつのトピックとして、詩と短歌のあわいとはなんだろうかというテーマがあったんですが、そのあわいって音と音があらわれたり、なくなったりする場所、音が自動的にことばをひきずりまわしていく〈耳=音〉の場所なのかなっておもったんです(〈自走性=自奏性〉としての耳)。
〈耳の場所〉。そこに、詩と短歌の接点というか境界があったりなかったりしながら、ふしぎな感じで耳が明滅している。耳が、またたいている。その場所はなんなんだろうっていうことをずっとこの批評会でかんがえていました。
そういえば、〈うずくまる〉って行為も視覚をシャットダウンしつつ、アクションをシャットダウンしつつ、身体を休止状態におきつつ、耳を特権化していく行為なのかなあっておもうんですよね。たぶん、わたしたちが生まれるまえに、胎児としてうずくまっていたときはきっと耳だけはよかったんじゃないかと。
しかもこの〈うずくまる〉には〈うずく、まる〉っていうふうに読点が入ってくる。言語的でもあるんですね。言葉の分割線が、言葉の境界が、音として、耳として、あらわれ、はじめ、る。うずくまりつつも、耳を志向しつつも、どうじに、言語も志向している。
わたしたちがうずくまるときに、わたしたちはいつもどこにむかおうとしているんだろう。
うす紅に春のまなこはおかされてさくら、さくらんしているの 中家菜津子
遠くから来る自転車をさがしてた 春の陽、瞳、まぶしい、どなた 東直子
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