【短歌】弾むような…(毎日新聞・毎日歌壇2016年4月25日 米川千嘉子 選)
- 2016/04/25
- 21:27
弾むような受話器なら俺がもっている もしもしと言い合うことは希望 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2016年4月25日 米川千嘉子 選)
【必要になったら電話をかけて】
プルーストは電話を何よりも、亡霊との交信を意味するものとして描いている。電話において、二人の対話者の間にあるのは空間的な距離だけではない。誰かに、電話をかけるということは、受話器に耳を当てながらまず自分を取り巻く現実を括弧に入れ、次に相手を相手の現実から引き剥がして、私と対話するよう要請することだ。
根本美作子『眠りと文学』
「もしもし」ってなんだろうってよく考えるんですが、「もしもし」って偶発的発声のように思うんですよ。
たとえば電話って「もしもし」で始まるんだけれど、そのときにそのひとに名前があっても名前がなくても〈もしもし〉で関係性がはじまってしまうわけですよね。知っているひとでも知っていないひとでもとりあえず「もしもし」でつながってしまう。で、「もしもし」という声(ヴォイス)によってそのひとのふんいきのなかにとりあえず入っていってしまう。それってふしぎだなあっておもうんですよ。
しかも「もしもし」は〈問いかけ〉なわけです。電話っていうのはいつも相手への存在論的問いかけではじまっている。つまり、もしもしあなたはそこに存在していますか。いまわたしの声をきいているあなたはあなたですよね。もしもし。
レイモンド・カーヴァーに『必要になったら電話をかけて』という短編集があるんだけれど、カーヴァーがずっと描いていたのはこの偶発的な〈もしもし〉によってふいに奇跡のように出会ってしまうひとびとだったんじゃないかと、おもうんですよ。うまく言えないんですが、でもひとことで、ようやくして、率直にあえていってみるならば、つまりそれは、もしもし。
「みんなちがって、みんないい」ボーイソプラノで朗読するのはさびしい眺め 米川千嘉子
ものを書くというプロセスの核心にたとえどのような暗黒の謎がひそんでいようとも、そこにはただひとつの企業秘密があるだけだとカーヴァーは声を大にして言った。
それは、君は生きのびなくてはならないということなのだ。
ジェイ・マキナニー「その静かな、小さな声」
(毎日新聞・毎日歌壇2016年4月25日 米川千嘉子 選)
【必要になったら電話をかけて】
プルーストは電話を何よりも、亡霊との交信を意味するものとして描いている。電話において、二人の対話者の間にあるのは空間的な距離だけではない。誰かに、電話をかけるということは、受話器に耳を当てながらまず自分を取り巻く現実を括弧に入れ、次に相手を相手の現実から引き剥がして、私と対話するよう要請することだ。
根本美作子『眠りと文学』
「もしもし」ってなんだろうってよく考えるんですが、「もしもし」って偶発的発声のように思うんですよ。
たとえば電話って「もしもし」で始まるんだけれど、そのときにそのひとに名前があっても名前がなくても〈もしもし〉で関係性がはじまってしまうわけですよね。知っているひとでも知っていないひとでもとりあえず「もしもし」でつながってしまう。で、「もしもし」という声(ヴォイス)によってそのひとのふんいきのなかにとりあえず入っていってしまう。それってふしぎだなあっておもうんですよ。
しかも「もしもし」は〈問いかけ〉なわけです。電話っていうのはいつも相手への存在論的問いかけではじまっている。つまり、もしもしあなたはそこに存在していますか。いまわたしの声をきいているあなたはあなたですよね。もしもし。
レイモンド・カーヴァーに『必要になったら電話をかけて』という短編集があるんだけれど、カーヴァーがずっと描いていたのはこの偶発的な〈もしもし〉によってふいに奇跡のように出会ってしまうひとびとだったんじゃないかと、おもうんですよ。うまく言えないんですが、でもひとことで、ようやくして、率直にあえていってみるならば、つまりそれは、もしもし。
「みんなちがって、みんないい」ボーイソプラノで朗読するのはさびしい眺め 米川千嘉子
ものを書くというプロセスの核心にたとえどのような暗黒の謎がひそんでいようとも、そこにはただひとつの企業秘密があるだけだとカーヴァーは声を大にして言った。
それは、君は生きのびなくてはならないということなのだ。
ジェイ・マキナニー「その静かな、小さな声」
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