【ふしぎな川柳 第八十九夜】そうだね、クリストファー-魚澄秋来-
- 2016/04/26
- 21:44
クリストファーと名付けたくなる朝がある 魚澄秋来
【やってきたクリストファー】
これすごくすてきな句だなと思って、以前からずっと考えてたんですね。
語り手にとってこの朝っていうのがかけがえのない朝だったんだ、スペシャルな朝だったんだっていうのはひとめでわかる。
じゃあどうしてスペシャルだとわかるのか。
まず、〈名づけ〉ですよね。名前がつくとカテゴライズされてそれはスペシャルなものになる。どうして特別なものになるかというと、名前をつけることでその名前をつけたそのひとがそれそのものを〈所有〉することになえるからですよね。名づけと所有はたぶん関係がふかい。どうしてかっていうと、名づけるものは名づけられるものに〈意味の規定〉を行うからです。存在の意味の規定を。
で、その名づけに関連してもうひとついうと、この句では、朝が人称化されたことがポイントなんじゃないかとおもうんです。朝に名前をあたえようとしている。名前が与えられた朝は、にんげんとして人称化される。
そのときなにが起こるかというと、わたしたち名前をもった存在と名前をあたえられた朝ははじめて対等におなじフィールドに立つんじゃないかとおもうんですよ。
だからまったく逆のことをいってしまうけれど、名前を与えられることって《自立》でもあるんですよね。それそのものが名前とともに勝手に主体を生成していく。クリストファーと名づけられた朝は、いったんは名づけによって所有されたけれど、すぐにその名前の有機的な機械作用によって自らのクリストファー的主体としていきいきと生きていくでしょう。どんな朝ともちがう朝として。
もちろんこの句は「名付けたくなる」なので、《あきらめ》の句でもあるんです。名づける、ではないから。だから、まだ、語り手は「朝」に名前をつけることはためらっている。でも、もう、すぐそこまではきている。そうした朝にふれそうな場所にきている。
だから読み手にはわかる。クリストファーという朝はまだこの世界には存在していない。まだ語り手も名づけてはいない。だから、もしかしたら、あした、わたしの朝としてやってくるかもしれない。
クリストファーは、なにかのかたちをとって、あなたのもとにもうきているかもしれないんです。
それってちょっとこの句が教えてくれるすてきなことだと、おもう。
もしかして名前をよびあう満ち潮に芝生が濡れるちいさな庭で 加藤治郎
『ワンス・アポン・ア・タイム』(2011)。この童話やディズニーアニメがベースになったドラマってなにがポイントかというと、名づけられたキャラクターたちがその名前をはみ出し、踏み出すしゅんかんがある。ピノキオが、白雪姫が、フックがみずからのそれまでの名前を越えようとするしゅんかんがある。そのしゅんかんがドラマになっているのがこのドラマの魅力なのかなっておもうんです。ひとは名前に所有されるだけじゃない。その名前から偶発的に越境していく場合だって、ある。
【やってきたクリストファー】
これすごくすてきな句だなと思って、以前からずっと考えてたんですね。
語り手にとってこの朝っていうのがかけがえのない朝だったんだ、スペシャルな朝だったんだっていうのはひとめでわかる。
じゃあどうしてスペシャルだとわかるのか。
まず、〈名づけ〉ですよね。名前がつくとカテゴライズされてそれはスペシャルなものになる。どうして特別なものになるかというと、名前をつけることでその名前をつけたそのひとがそれそのものを〈所有〉することになえるからですよね。名づけと所有はたぶん関係がふかい。どうしてかっていうと、名づけるものは名づけられるものに〈意味の規定〉を行うからです。存在の意味の規定を。
で、その名づけに関連してもうひとついうと、この句では、朝が人称化されたことがポイントなんじゃないかとおもうんです。朝に名前をあたえようとしている。名前が与えられた朝は、にんげんとして人称化される。
そのときなにが起こるかというと、わたしたち名前をもった存在と名前をあたえられた朝ははじめて対等におなじフィールドに立つんじゃないかとおもうんですよ。
だからまったく逆のことをいってしまうけれど、名前を与えられることって《自立》でもあるんですよね。それそのものが名前とともに勝手に主体を生成していく。クリストファーと名づけられた朝は、いったんは名づけによって所有されたけれど、すぐにその名前の有機的な機械作用によって自らのクリストファー的主体としていきいきと生きていくでしょう。どんな朝ともちがう朝として。
もちろんこの句は「名付けたくなる」なので、《あきらめ》の句でもあるんです。名づける、ではないから。だから、まだ、語り手は「朝」に名前をつけることはためらっている。でも、もう、すぐそこまではきている。そうした朝にふれそうな場所にきている。
だから読み手にはわかる。クリストファーという朝はまだこの世界には存在していない。まだ語り手も名づけてはいない。だから、もしかしたら、あした、わたしの朝としてやってくるかもしれない。
クリストファーは、なにかのかたちをとって、あなたのもとにもうきているかもしれないんです。
それってちょっとこの句が教えてくれるすてきなことだと、おもう。
もしかして名前をよびあう満ち潮に芝生が濡れるちいさな庭で 加藤治郎
『ワンス・アポン・ア・タイム』(2011)。この童話やディズニーアニメがベースになったドラマってなにがポイントかというと、名づけられたキャラクターたちがその名前をはみ出し、踏み出すしゅんかんがある。ピノキオが、白雪姫が、フックがみずからのそれまでの名前を越えようとするしゅんかんがある。そのしゅんかんがドラマになっているのがこのドラマの魅力なのかなっておもうんです。ひとは名前に所有されるだけじゃない。その名前から偶発的に越境していく場合だって、ある。
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