【感想】あとがきって、なんだろう-シリーズ・なんだろう-
- 2016/04/26
- 23:34
あとがきのように寂しいひつじ雲見上げてきみのそばにいる夏 大森静佳
「あとがき」の段々畑まっぴるま 岩田多佳子
【あとがき入門】
あとがきってなんだろうってときどき考えてるんですね。
今まで生きてきてあとがきについて学ぶ機会ってなかったような気がするんです。《教育的》にですよ。
あとがきを読んで、じぶんなりにあとがきを学んでいくしかなかったような気がして。きょうから書けるあとがき入門、って本はないんですよね。まだ。そのうち出るかもしれないけれど。
で、あとがきってなんなのか、っていう観点からあとがきをめぐる短詩をみてみると、たとえば大森さんの歌ではあとがきが「ひつじ雲」に、岩田さんの句では「段々畑」になってますよね。
そうするとあとがきってもしかしたら《構造的》なものなのかなっておもうんですよ。段々畑とひつじ雲って連続した構造物が階層をつくりながらズレた構造をつくっていく点においてちょっと似ていますよね。で、あとがきも構造物なんです。たとえばいつも最後にくるとか、本編と関わりあいつつもいちばん私性が出てくる場所だだったりするとか。
で、大森さんの歌の《さびしさ》はそういう構造物があらわれてしまったこと、みえてしまったことのさびしさなのかなあっておもうんですよね。きみとの構造がみえてしまった。だから、さびしい。
岩田さんの句では「まっぴるま」とすることで、そういうあとがきの構造性にさらに時間構造を重ねているおもしろさがあるとおもうんですよね。うしろなのかまんなかなのか構造がねじれていくような。
だから、あとがきってなんだろう、っていわれたら、それは構造物であり、構造物だとわかるからこそあとがきはさびしいものなんじゃないかっておもうんです。
構造は、さびしいんですよ。いつも。
構造の奥よりあまた紙きれの風に舞いつつ道に出てゆく 岡部桂一郎
さっと消えるものをだいじに書いている 峯裕見子
「あとがき」の段々畑まっぴるま 岩田多佳子
【あとがき入門】
あとがきってなんだろうってときどき考えてるんですね。
今まで生きてきてあとがきについて学ぶ機会ってなかったような気がするんです。《教育的》にですよ。
あとがきを読んで、じぶんなりにあとがきを学んでいくしかなかったような気がして。きょうから書けるあとがき入門、って本はないんですよね。まだ。そのうち出るかもしれないけれど。
で、あとがきってなんなのか、っていう観点からあとがきをめぐる短詩をみてみると、たとえば大森さんの歌ではあとがきが「ひつじ雲」に、岩田さんの句では「段々畑」になってますよね。
そうするとあとがきってもしかしたら《構造的》なものなのかなっておもうんですよ。段々畑とひつじ雲って連続した構造物が階層をつくりながらズレた構造をつくっていく点においてちょっと似ていますよね。で、あとがきも構造物なんです。たとえばいつも最後にくるとか、本編と関わりあいつつもいちばん私性が出てくる場所だだったりするとか。
で、大森さんの歌の《さびしさ》はそういう構造物があらわれてしまったこと、みえてしまったことのさびしさなのかなあっておもうんですよね。きみとの構造がみえてしまった。だから、さびしい。
岩田さんの句では「まっぴるま」とすることで、そういうあとがきの構造性にさらに時間構造を重ねているおもしろさがあるとおもうんですよね。うしろなのかまんなかなのか構造がねじれていくような。
だから、あとがきってなんだろう、っていわれたら、それは構造物であり、構造物だとわかるからこそあとがきはさびしいものなんじゃないかっておもうんです。
構造は、さびしいんですよ。いつも。
構造の奥よりあまた紙きれの風に舞いつつ道に出てゆく 岡部桂一郎
さっと消えるものをだいじに書いている 峯裕見子
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