【感想】ハイ着地大して飛べてなかったな 竹井紫乙
- 2016/04/28
- 00:39
ハイ着地大して飛べてなかったな 竹井紫乙
【きょう、ひよこになること】
竹井紫乙さんの句集『ひよこ』のいちばん最後におかれた句です。
わたしは句集『ひよこ』は大好きなんですが、実はこの「着地」の句だけはあんまり好きではなかったんですよ。
これだと『ひよこ』にていのよい物語の終わりがついてしまうきがして。なにか〈終わり〉がついてしまうのがどうなんだろうって思ったんです。
でもさいきん読み返していたときに、いやでもこの句がやっぱり最後でこの句集はよいのかもしれないなって思ったんです。
たぶんここ最近いろんなことがあって少し読み方も変わってきているというのもあると思うんだけれども、ひとっていつまでも《たいして飛べなかったな》っていう《未完》だからこそ救われてる部分があるし、先がある場合があるんじゃないかなっておもったんです。
ひとって別に《上手な飛び方》がみたいわけじゃなくて、《へたくそでもなにかひっかかる》先のある飛び方をみたいんじゃないかと。
きっちりとおさまりのよいことをしてしまったら、だめなんじゃないかって。ひとって《いやまだこの先があるんだよ》っていうことを知りたいんじゃないかなっておもったんです。
そうするとこの句集の《終わり》はこれでいいんだなっておもったんですよね。
以前、しおとさんとお話したことがあるんだけれども、そのときにしおとさんが、自分がいま《こう》思っていても未来では変わる場合があるから、自分がいま《ちがうな》って思っても実はそれをそうすることが大事な場合もある、みたいなことをおっしゃっていて、わたしはそのときほんとうにそうだなって思ったんですね。
《自己愛》ってあるからどうしても《こう》したいっていう場合ってあるんだけれど、実は自分がちょっと違うかもしれないけれどでもひとがこう言ってくれたからこうしてみようかなっていうふうが百年後に適合していく場合もあるのかなって思うんです。未来のじぶんに合わせる、っていうか。
だからときに《大して飛べない加減》に調節することってちょっと大事なのかなってこの句集を読んでいておもったんです。もちろん、むずかしいことなんだけれども。
でも、たぶん、そういうもんだいって大事なのかなっておもうんです。
どうやってじぶんの《ひよこ性》をかんがえていくかという問題。
ヤケクソになって来たなと思う指 竹井紫乙
BSフジ『BARレモン・ハート』(2015)。さいきん、《趣味・嗜好》をめぐるマンガ発信の一話完結ドラマって増えてきましたよね。『孤独のグルメ』とか。なんかこう全体的なドラマっていうのが流行らなくなってきたんじゃないかと思うんですよ。それよりも島宇宙を旅するような断片的なドラマの方がうけがいいんじゃないかと。なにかこうずっと全体的に貫徹していくようなドラマツルギーがあんまり流行らないというか。それは《見通し》っていうものの現実性がほんとうになくなってきている気がするんですよね。明日はどうなってるかわからない、どういう立場でものを言っているかわからないって。日々生きていることが島宇宙を旅しているに等しい。そういう時代を生きているのかなって思います。テン年代ですよね今って。あと少しで終わるけれども。のちのちどう評価されるんだろう。
【きょう、ひよこになること】
竹井紫乙さんの句集『ひよこ』のいちばん最後におかれた句です。
わたしは句集『ひよこ』は大好きなんですが、実はこの「着地」の句だけはあんまり好きではなかったんですよ。
これだと『ひよこ』にていのよい物語の終わりがついてしまうきがして。なにか〈終わり〉がついてしまうのがどうなんだろうって思ったんです。
でもさいきん読み返していたときに、いやでもこの句がやっぱり最後でこの句集はよいのかもしれないなって思ったんです。
たぶんここ最近いろんなことがあって少し読み方も変わってきているというのもあると思うんだけれども、ひとっていつまでも《たいして飛べなかったな》っていう《未完》だからこそ救われてる部分があるし、先がある場合があるんじゃないかなっておもったんです。
ひとって別に《上手な飛び方》がみたいわけじゃなくて、《へたくそでもなにかひっかかる》先のある飛び方をみたいんじゃないかと。
きっちりとおさまりのよいことをしてしまったら、だめなんじゃないかって。ひとって《いやまだこの先があるんだよ》っていうことを知りたいんじゃないかなっておもったんです。
そうするとこの句集の《終わり》はこれでいいんだなっておもったんですよね。
以前、しおとさんとお話したことがあるんだけれども、そのときにしおとさんが、自分がいま《こう》思っていても未来では変わる場合があるから、自分がいま《ちがうな》って思っても実はそれをそうすることが大事な場合もある、みたいなことをおっしゃっていて、わたしはそのときほんとうにそうだなって思ったんですね。
《自己愛》ってあるからどうしても《こう》したいっていう場合ってあるんだけれど、実は自分がちょっと違うかもしれないけれどでもひとがこう言ってくれたからこうしてみようかなっていうふうが百年後に適合していく場合もあるのかなって思うんです。未来のじぶんに合わせる、っていうか。
だからときに《大して飛べない加減》に調節することってちょっと大事なのかなってこの句集を読んでいておもったんです。もちろん、むずかしいことなんだけれども。
でも、たぶん、そういうもんだいって大事なのかなっておもうんです。
どうやってじぶんの《ひよこ性》をかんがえていくかという問題。
ヤケクソになって来たなと思う指 竹井紫乙
BSフジ『BARレモン・ハート』(2015)。さいきん、《趣味・嗜好》をめぐるマンガ発信の一話完結ドラマって増えてきましたよね。『孤独のグルメ』とか。なんかこう全体的なドラマっていうのが流行らなくなってきたんじゃないかと思うんですよ。それよりも島宇宙を旅するような断片的なドラマの方がうけがいいんじゃないかと。なにかこうずっと全体的に貫徹していくようなドラマツルギーがあんまり流行らないというか。それは《見通し》っていうものの現実性がほんとうになくなってきている気がするんですよね。明日はどうなってるかわからない、どういう立場でものを言っているかわからないって。日々生きていることが島宇宙を旅しているに等しい。そういう時代を生きているのかなって思います。テン年代ですよね今って。あと少しで終わるけれども。のちのちどう評価されるんだろう。
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