【ふしぎな川柳 第九十二夜】接近不可能性と猫-新家完司-
- 2016/05/02
- 17:24
猫に石投げて当たったことがない 新家完司
ハイゼンベルク「不確定性原理」;物質の最も微少な構成要素の場合、各観測過程が観測対象に大きな攪乱を惹き起こすため、観測者は観測対象を正確に記述することができない。 土田知則『文学理論のプラクティス』
【猫と不確定性理論】
『猫川柳アンソロジー ことばの国の猫たち』からの一句です。
この句ってすごくよく《猫の根っこ》を描いているような気がするんですね。
それはなにかっていうと、「猫に石投げて当たったことがない」っていうのはどういうことかっていうと、猫がどうしても《対象化》できないってことだと思うんです。
わたし、ときどき思うんですが、対象化できないことが《猫》の本質というか猫的な部分だとおもうんですよ。なにか猫はこうである、猫とはこういうものであると定義や規定をしてもそこからはみ出ていくもの。ぜんぜん投げかけた〈言葉の石〉が当たらないもの。それが猫なんじゃないかと。
だから漱石が書いた『吾輩は猫である』っていうタイトルはその意味では深いとおもうんですね。なんでかっていうとこのタイトルって、《吾輩=猫》っていう規定・定義のタイトルなんですね。「吾輩」という石を猫に投げたタイトルなんです。
でもそうありつつももっとこのタイトルがおもしろいのは、じゃあ《吾輩》ってなんなのかという問題がかならず出てくる。《XはYである》という規定するタイトルでありつつも、《吾輩》も《猫》も規定不可能として逃げようとする。そういうなにかを認識しようとして認識から逸れていくタイトルだとおもうんです。そしてそれは新家さんの句もおなじだとおもうんです。石や認識を投げようとしてもぜんぜん当たらない。でもそれが猫なんですよ。
猫って、たぶん、認識不可能な動物なんですよ。粒子みたいな。それこそ、シュレディンガーの猫のような。
観察者は、かならず、観測対象に影響を及ぼす。
だから、石は、あたらない。
猫と私の境界線があやふやに 浮千草
コーエン兄弟『バーバー』(2001)。コーエン兄弟の映画のコンセプトをひとことでいうなら「猫に石投げて当たったことがない」だとおもうんですよ。この『バーバー』でも不確定性理論って語られるんだけれど、それは観察者が観察対象に必ず影響を与えてしまうから、正確な観察はできないんだっていう理論です。だから新家さんの句って不確定性理論そのものでもあると思うんですよね。なにかのアクションが観測対象に影響をおよぼし、「当たったことがない」状態を引き起こしてしまう。で、コーエン兄弟の映画ってまさにこの連続なんです。だから、猫も人生もわからないんです。あなたがアクションを起こすかぎり。
ハイゼンベルク「不確定性原理」;物質の最も微少な構成要素の場合、各観測過程が観測対象に大きな攪乱を惹き起こすため、観測者は観測対象を正確に記述することができない。 土田知則『文学理論のプラクティス』
【猫と不確定性理論】
『猫川柳アンソロジー ことばの国の猫たち』からの一句です。
この句ってすごくよく《猫の根っこ》を描いているような気がするんですね。
それはなにかっていうと、「猫に石投げて当たったことがない」っていうのはどういうことかっていうと、猫がどうしても《対象化》できないってことだと思うんです。
わたし、ときどき思うんですが、対象化できないことが《猫》の本質というか猫的な部分だとおもうんですよ。なにか猫はこうである、猫とはこういうものであると定義や規定をしてもそこからはみ出ていくもの。ぜんぜん投げかけた〈言葉の石〉が当たらないもの。それが猫なんじゃないかと。
だから漱石が書いた『吾輩は猫である』っていうタイトルはその意味では深いとおもうんですね。なんでかっていうとこのタイトルって、《吾輩=猫》っていう規定・定義のタイトルなんですね。「吾輩」という石を猫に投げたタイトルなんです。
でもそうありつつももっとこのタイトルがおもしろいのは、じゃあ《吾輩》ってなんなのかという問題がかならず出てくる。《XはYである》という規定するタイトルでありつつも、《吾輩》も《猫》も規定不可能として逃げようとする。そういうなにかを認識しようとして認識から逸れていくタイトルだとおもうんです。そしてそれは新家さんの句もおなじだとおもうんです。石や認識を投げようとしてもぜんぜん当たらない。でもそれが猫なんですよ。
猫って、たぶん、認識不可能な動物なんですよ。粒子みたいな。それこそ、シュレディンガーの猫のような。
観察者は、かならず、観測対象に影響を及ぼす。
だから、石は、あたらない。
猫と私の境界線があやふやに 浮千草
コーエン兄弟『バーバー』(2001)。コーエン兄弟の映画のコンセプトをひとことでいうなら「猫に石投げて当たったことがない」だとおもうんですよ。この『バーバー』でも不確定性理論って語られるんだけれど、それは観察者が観察対象に必ず影響を与えてしまうから、正確な観察はできないんだっていう理論です。だから新家さんの句って不確定性理論そのものでもあると思うんですよね。なにかのアクションが観測対象に影響をおよぼし、「当たったことがない」状態を引き起こしてしまう。で、コーエン兄弟の映画ってまさにこの連続なんです。だから、猫も人生もわからないんです。あなたがアクションを起こすかぎり。
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