【ふしぎな川柳 第百夜】朝を迎えるために-松岡瑞枝-
- 2016/05/07
- 02:51
ぼろぼろになって帰って来てくれた 松岡瑞枝
【第一夜に帰ってきた】
この「ふしぎな川柳」のシリーズって第一夜を次の川柳で始めたんですね。
幸せで幸せで死を考える 松岡瑞枝
この最大の逆説はなんだってことからこのふしぎなシリーズを始めたんですよ。
それでそこからずっと九十九の夜を越えてきたんだけれども、九十九夜にしてたどりついたのは、ひとは《最大の恣意性》を引き受けて生きているんだっていうことなんじゃないかと思ったんですよ。
それってなかなかどうこうしてもクリアできないんだけれど、でもクリアできないからこそ、たびたびそこにかえって自分でも理解しがたい《言語表現》を生み出してしまう。
だからこの松岡さんの句の語り手は《最大の恣意性》を通して《生きること》を考えようとしているのかなっておもったんです。今、第百夜にして。
だから、こういう生の逆説もいえる。こういう生の祝福もできる。
ぼろぼろになって帰って来てくれた 松岡瑞枝
《最大の恣意性》をくぐりぬけて《どう》ぼろぼろになって帰ってくるのか。それがいつも表現活動に賭けられているのかなってこの松岡さんの川柳をとおして思ったんです。
だとしたら、わたしもいちおう100のふしぎをとおして、くぐりぬけて、少しはぼろぼろになってここに帰ってくることができたのではないか。それが最初にしたかったことだったのではないかとおもったんです。
めいめいの句がかかえるふしぎはすごくタフで強靱で、どの句の感想を書こうとしてもいつもへこたれそうになってしまう。泣きそうになってしまう。なんのために自分はやっているのかと思ってしまう。じっさい、泣いてしまう。
いや泣かないんだけれども、でも、なにかふしぎな恩寵にひかれて、ひっぱられてしまう。
川柳ってふしぎでおもしろいなって思いました。いつも、じぶんを、それしかないかたちで、ぼろぼろにしてくれるから。帰ってくるための場所として。
よろよろと手の鳴る方へ奴らの方へ 松岡瑞枝
【第一夜に帰ってきた】
この「ふしぎな川柳」のシリーズって第一夜を次の川柳で始めたんですね。
幸せで幸せで死を考える 松岡瑞枝
この最大の逆説はなんだってことからこのふしぎなシリーズを始めたんですよ。
それでそこからずっと九十九の夜を越えてきたんだけれども、九十九夜にしてたどりついたのは、ひとは《最大の恣意性》を引き受けて生きているんだっていうことなんじゃないかと思ったんですよ。
それってなかなかどうこうしてもクリアできないんだけれど、でもクリアできないからこそ、たびたびそこにかえって自分でも理解しがたい《言語表現》を生み出してしまう。
だからこの松岡さんの句の語り手は《最大の恣意性》を通して《生きること》を考えようとしているのかなっておもったんです。今、第百夜にして。
だから、こういう生の逆説もいえる。こういう生の祝福もできる。
ぼろぼろになって帰って来てくれた 松岡瑞枝
《最大の恣意性》をくぐりぬけて《どう》ぼろぼろになって帰ってくるのか。それがいつも表現活動に賭けられているのかなってこの松岡さんの川柳をとおして思ったんです。
だとしたら、わたしもいちおう100のふしぎをとおして、くぐりぬけて、少しはぼろぼろになってここに帰ってくることができたのではないか。それが最初にしたかったことだったのではないかとおもったんです。
めいめいの句がかかえるふしぎはすごくタフで強靱で、どの句の感想を書こうとしてもいつもへこたれそうになってしまう。泣きそうになってしまう。なんのために自分はやっているのかと思ってしまう。じっさい、泣いてしまう。
いや泣かないんだけれども、でも、なにかふしぎな恩寵にひかれて、ひっぱられてしまう。
川柳ってふしぎでおもしろいなって思いました。いつも、じぶんを、それしかないかたちで、ぼろぼろにしてくれるから。帰ってくるための場所として。
よろよろと手の鳴る方へ奴らの方へ 松岡瑞枝
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