【希望の川柳 一日目】間違える希望-熊谷冬鼓-
- 2016/05/13
- 23:26
楽なほうへ楽な方へと降りてきた 熊谷冬鼓
【希望とパスワード】
熊谷さんの句集『雨の日は』からの一句です。
これって表記が句の意味と反しているようにおもうんですね。表記がないようにあらがっている。
で、なにがあらがっているかというと、「ほう」と「方」の違いからきているとおもうんです。
語り手は、「楽」なほうに降りてきた、と言ってはいるんだけれど、「ほう」と「方」という凹凸あるベクトルを描くことによって〈道のり〉をそこに描き出したとおもうんです。「ほう」もあったし、「方」もあった。それって〈楽なこと〉ではないとおもうんですよね。「ほう」と「方」の違いを認識しながら「降りてきた」ことは。
で、そういう〈違い〉というか〈言い違い〉に希望はあるのかなってときどき思うんです。じぶんでも思ってもみなかったことに、言い間〈違い〉によって気がついてしまう。そのときその〈違い〉からじぶんがこれまできたことの〈道のり〉にきがつく。ああそんなに平坦な、プレーンな道をあるいてきたわけではなかったんだと、じぶんがじぶんから教えてもらう。言語の差異をつうじて。
そこに希望はあるのかなっておもったんです。これからの。
〈言い間違い〉というのはもしかしたらじぶんにアクセスするためのパスワードかもしれない。
パスワードぽんと見知らぬ海に出る 熊谷冬鼓
クレイトン『華麗なるギャツビー』1974。この映画のエンディングがすごくよくて、ギャツビーが死んですべての信念が流れ去り破れ去ったというニック・キャラウェイの心象的な独白が終わったあとにすごく陽気な音楽が流れるんですよ。みんな楽しそうに船から下りる映像が流れて。で、これはなんだろうってすごくふしぎで。もちろん、原作にはそれはない。で、この陽気な音楽って映画が〈言い間違い〉をしたんじゃないかとちょっと思ったんです。でもそれによって映画だけの希望がでてくる。この差異からいろんなギャツビーの可能性が別のかたちでひっぱりだされてくるのかなって思ったんです。だから最後がすごくいい映画。
【希望とパスワード】
熊谷さんの句集『雨の日は』からの一句です。
これって表記が句の意味と反しているようにおもうんですね。表記がないようにあらがっている。
で、なにがあらがっているかというと、「ほう」と「方」の違いからきているとおもうんです。
語り手は、「楽」なほうに降りてきた、と言ってはいるんだけれど、「ほう」と「方」という凹凸あるベクトルを描くことによって〈道のり〉をそこに描き出したとおもうんです。「ほう」もあったし、「方」もあった。それって〈楽なこと〉ではないとおもうんですよね。「ほう」と「方」の違いを認識しながら「降りてきた」ことは。
で、そういう〈違い〉というか〈言い違い〉に希望はあるのかなってときどき思うんです。じぶんでも思ってもみなかったことに、言い間〈違い〉によって気がついてしまう。そのときその〈違い〉からじぶんがこれまできたことの〈道のり〉にきがつく。ああそんなに平坦な、プレーンな道をあるいてきたわけではなかったんだと、じぶんがじぶんから教えてもらう。言語の差異をつうじて。
そこに希望はあるのかなっておもったんです。これからの。
〈言い間違い〉というのはもしかしたらじぶんにアクセスするためのパスワードかもしれない。
パスワードぽんと見知らぬ海に出る 熊谷冬鼓
クレイトン『華麗なるギャツビー』1974。この映画のエンディングがすごくよくて、ギャツビーが死んですべての信念が流れ去り破れ去ったというニック・キャラウェイの心象的な独白が終わったあとにすごく陽気な音楽が流れるんですよ。みんな楽しそうに船から下りる映像が流れて。で、これはなんだろうってすごくふしぎで。もちろん、原作にはそれはない。で、この陽気な音楽って映画が〈言い間違い〉をしたんじゃないかとちょっと思ったんです。でもそれによって映画だけの希望がでてくる。この差異からいろんなギャツビーの可能性が別のかたちでひっぱりだされてくるのかなって思ったんです。だから最後がすごくいい映画。
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:希望の川柳-川柳百物語 陽-