【短歌】おしあてて、…(毎日新聞・毎日歌壇2014/3/10掲載 特選・加藤治郎選)
- 2014/04/06
- 09:14
おしあてて、うけいれられて、あんしんし、わたしがいきる、指紋認証 柳本々々
(毎日新聞・毎日歌壇2014/3/10掲載 特選・加藤治郎選)
【自(分で)解(いてみる)-指紋認証なんかで、いられない-】
選者の加藤治郎さんから「なんだろうと思って読んでゆく。結句で分かるが、また考えさせられる。アイデンティティが漂っている」というコメントをいただいた。
加藤さんからいただいたことばをじぶんなりに敷衍してすこしかんがえてみたい。
この歌は3句目で「あんしんし」といっているわけなのだが、〈安心感〉がない。ゆれているし、ふあんていである。
それはこの歌が、「指紋認証」という結句まではすべてひらがな表記ですすむところにあるようにおもう。
つまり、意識がゆれつつ・すすみつつも、〈漢字変換〉できるほどには固定化されてもいないし、不動でもない。また、変換するほどの意志もこの語り手にはみられない。だから、読み手にきかせようとする志向性もみられない。まだ語り手の意識は、ひらがなのレベルでたゆたっている。
しかし、突如としてあらわれた結句の「指紋認証」によって語り手の意識は漢字変換として固定化されざるをえない。なぜならそれは意識の問題ではなく、身体というハードウェアとしての、データの問題だからだ。
けれども、加藤さんの「結句で分かるが、また考えさせられる」ということばのように、「指紋認証」されたからといってそれでこの語り手が「安心」したわけではない。
身体が語り手の意識や主体をつねに保証してくれるものではないし、むしろ身体がデータとして世界中に散在する事態となってしまっていることが、身体そのものの不安感の根拠にもなっているのだ。
つまり、アイデンティティこそが、アイデンティティを崩すのだ。データ認証によってアイデンティティが保証されればされるほど、わたくしとしての意識の主体は希薄化されていく。それはわたしの生きてあることの〈理由〉なんかにはならない。もちろん、他者からのわたしの存在の担保にはなる。しかし、それはあくまで他者が担保できるわたしのデータでしかなく、わたしがいま、ここに、いきてある理由にはならない。それどころか、データ化される存在の担保は、わたしがわたしでありつつも・わたしがわたしでない可能性もつねに胚胎している。なぜなら、指紋認証はわたしの履歴としてのソフトウェアをみているわけではなく、わたしのいま・ここにおけるハードウェアをみているにすぎないから。
だから、結句は初句に回帰する。「おしあてて」と。指紋は認証されたが、わたしが認証された実感がもてなかったから。
こんなふうに加藤治郎さんのことばをうけてわたしなりにかんがえてみた。ときどきおもうのだが、かんがえる作業というのは、そのときは無意識だったことばを、他者のことばをうけて、意識のレベルに(挫折しつつも)言語化していく作業なのではないかとおもう。
加藤治郎さん、選評していただき、ありがとうございました。
近代法の特徴は、守るべきルールをできるだけ曖昧さが残らないようはっきり定め、それを人びとに周知させ、違反した人を取りしまるところにある。つまり、言語を通して各人の意識に働きかけて規範への順応を促したうえで、それでも出てくる違反者に事後的に制裁を加えることで、違反者が増加しないよう各人の意識に改めて働きかけるわけである。それに対してアーキテクチャは、規範に反する行為が物理的に不可能な環境を作ることを本質とする事前規制である。しかも、その規制は、規制される本人がそのことを意識していると否とにかかわらず、作動する。人間の意識を経由しないで、身体に直接的に働きかけるわけである。
仲正昌樹「アーキテクチャ」『いまを生きるための思想キーワード』
(毎日新聞・毎日歌壇2014/3/10掲載 特選・加藤治郎選)
【自(分で)解(いてみる)-指紋認証なんかで、いられない-】
選者の加藤治郎さんから「なんだろうと思って読んでゆく。結句で分かるが、また考えさせられる。アイデンティティが漂っている」というコメントをいただいた。
加藤さんからいただいたことばをじぶんなりに敷衍してすこしかんがえてみたい。
この歌は3句目で「あんしんし」といっているわけなのだが、〈安心感〉がない。ゆれているし、ふあんていである。
それはこの歌が、「指紋認証」という結句まではすべてひらがな表記ですすむところにあるようにおもう。
つまり、意識がゆれつつ・すすみつつも、〈漢字変換〉できるほどには固定化されてもいないし、不動でもない。また、変換するほどの意志もこの語り手にはみられない。だから、読み手にきかせようとする志向性もみられない。まだ語り手の意識は、ひらがなのレベルでたゆたっている。
しかし、突如としてあらわれた結句の「指紋認証」によって語り手の意識は漢字変換として固定化されざるをえない。なぜならそれは意識の問題ではなく、身体というハードウェアとしての、データの問題だからだ。
けれども、加藤さんの「結句で分かるが、また考えさせられる」ということばのように、「指紋認証」されたからといってそれでこの語り手が「安心」したわけではない。
身体が語り手の意識や主体をつねに保証してくれるものではないし、むしろ身体がデータとして世界中に散在する事態となってしまっていることが、身体そのものの不安感の根拠にもなっているのだ。
つまり、アイデンティティこそが、アイデンティティを崩すのだ。データ認証によってアイデンティティが保証されればされるほど、わたくしとしての意識の主体は希薄化されていく。それはわたしの生きてあることの〈理由〉なんかにはならない。もちろん、他者からのわたしの存在の担保にはなる。しかし、それはあくまで他者が担保できるわたしのデータでしかなく、わたしがいま、ここに、いきてある理由にはならない。それどころか、データ化される存在の担保は、わたしがわたしでありつつも・わたしがわたしでない可能性もつねに胚胎している。なぜなら、指紋認証はわたしの履歴としてのソフトウェアをみているわけではなく、わたしのいま・ここにおけるハードウェアをみているにすぎないから。
だから、結句は初句に回帰する。「おしあてて」と。指紋は認証されたが、わたしが認証された実感がもてなかったから。
こんなふうに加藤治郎さんのことばをうけてわたしなりにかんがえてみた。ときどきおもうのだが、かんがえる作業というのは、そのときは無意識だったことばを、他者のことばをうけて、意識のレベルに(挫折しつつも)言語化していく作業なのではないかとおもう。
加藤治郎さん、選評していただき、ありがとうございました。
近代法の特徴は、守るべきルールをできるだけ曖昧さが残らないようはっきり定め、それを人びとに周知させ、違反した人を取りしまるところにある。つまり、言語を通して各人の意識に働きかけて規範への順応を促したうえで、それでも出てくる違反者に事後的に制裁を加えることで、違反者が増加しないよう各人の意識に改めて働きかけるわけである。それに対してアーキテクチャは、規範に反する行為が物理的に不可能な環境を作ることを本質とする事前規制である。しかも、その規制は、規制される本人がそのことを意識していると否とにかかわらず、作動する。人間の意識を経由しないで、身体に直接的に働きかけるわけである。
仲正昌樹「アーキテクチャ」『いまを生きるための思想キーワード』
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