【感想】コピー本薄し八月十五日 松本てふこ
- 2016/05/17
- 13:53
コピー本薄し八月十五日 松本てふこ
近代戦争の伝統からすれば、日本の終戦記念日も休戦文書調印の九月二日ということになる。これが「グローバル・スタンダード」であり、外国の歴史教科書の多くはそう記述している。 佐藤卓己『八月十五日の神話』
【八月十五日というトポス】
てふこさんの連作「コミケに行ってきました」からの一句です。
八月十五日がメディア論の方からよく言われているのは、八月十五日というのは生成された日本独自の《記念日》であって、国際的には決して意味がある《終戦日》ではないということです。
だから、第二次世界大戦の終わりは法的には《八月十五日》ではないけれど、日本は意味的な終わりとして《玉音放送》が流れた《八月十五日》をいろんな言説、もちろん俳句も含めて特権化してきた。
で、てふこさんの句がおもしろいのは、コミケ会場の八月十五日から《八月十五日》を志向することで、そういった特権化された八月十五日をズラしていることなんじゃないかと思うんですよね。とくにそれをあらわしているのが、おそらく同人誌だとおもうんだけれど、「コピー本薄し」です。
《八月十五日》が二次的に生成された《構築の厚み》を色づけされたものであるならば、このおそらくは二次創作の「コピー本」もまた生成された《構築の厚み》をもっている。それは二次としての、しかし「コピー本」であろうとも世に出したいという《構築の厚み》です。この「薄さ」は実はそういう、《それでも》っていう厚みだとおもうんです。
二次的に構築された《八月十五日》に、《二次的な構築の祭典》とも言えるコミケを掛け合わせる。これがちょっとおもしろいなっておもったんです。八月十五日という生成された日に、あなたはどこで、なにを生成しているのか。
八月十五日正午やトイレ待ち 松本てふこ
小島正幸・浦沢直樹『アニメ MONSTER』(2004)。ある意味で、マンガのアニメ化もひとつの(とっても広い意味での)二次創作だとおもうんだけれども、この浦沢直樹の『モンスター』のアニメ化でけっこうショックを受けたのが、エンディングをピアニストのフジ子・ヘミングが歌ってたんですね。それですごく驚いて、しかも誰かも言っていたけれど、トム・ウェイツみたいな魂の軋轢のある声でうたうんです。それで、ああ制作陣になにか《本気》なことをやろうとしているひとがいる、って思ってびっくりしました。たぶんそれは『モンスター』へのひとつの批評にもなってたとおもうんですよね。越境しながら《どう》人間は狂うことなく生きていけるのかっていう。
近代戦争の伝統からすれば、日本の終戦記念日も休戦文書調印の九月二日ということになる。これが「グローバル・スタンダード」であり、外国の歴史教科書の多くはそう記述している。 佐藤卓己『八月十五日の神話』
【八月十五日というトポス】
てふこさんの連作「コミケに行ってきました」からの一句です。
八月十五日がメディア論の方からよく言われているのは、八月十五日というのは生成された日本独自の《記念日》であって、国際的には決して意味がある《終戦日》ではないということです。
だから、第二次世界大戦の終わりは法的には《八月十五日》ではないけれど、日本は意味的な終わりとして《玉音放送》が流れた《八月十五日》をいろんな言説、もちろん俳句も含めて特権化してきた。
で、てふこさんの句がおもしろいのは、コミケ会場の八月十五日から《八月十五日》を志向することで、そういった特権化された八月十五日をズラしていることなんじゃないかと思うんですよね。とくにそれをあらわしているのが、おそらく同人誌だとおもうんだけれど、「コピー本薄し」です。
《八月十五日》が二次的に生成された《構築の厚み》を色づけされたものであるならば、このおそらくは二次創作の「コピー本」もまた生成された《構築の厚み》をもっている。それは二次としての、しかし「コピー本」であろうとも世に出したいという《構築の厚み》です。この「薄さ」は実はそういう、《それでも》っていう厚みだとおもうんです。
二次的に構築された《八月十五日》に、《二次的な構築の祭典》とも言えるコミケを掛け合わせる。これがちょっとおもしろいなっておもったんです。八月十五日という生成された日に、あなたはどこで、なにを生成しているのか。
八月十五日正午やトイレ待ち 松本てふこ
小島正幸・浦沢直樹『アニメ MONSTER』(2004)。ある意味で、マンガのアニメ化もひとつの(とっても広い意味での)二次創作だとおもうんだけれども、この浦沢直樹の『モンスター』のアニメ化でけっこうショックを受けたのが、エンディングをピアニストのフジ子・ヘミングが歌ってたんですね。それですごく驚いて、しかも誰かも言っていたけれど、トム・ウェイツみたいな魂の軋轢のある声でうたうんです。それで、ああ制作陣になにか《本気》なことをやろうとしているひとがいる、って思ってびっくりしました。たぶんそれは『モンスター』へのひとつの批評にもなってたとおもうんですよね。越境しながら《どう》人間は狂うことなく生きていけるのかっていう。
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