【短歌】夫にも…(日経新聞・日経歌壇2016年5月22日・穂村弘 選)
- 2016/05/22
- 10:26
夫にも会っていきますかと言われ、だいじょうぶですと答えるときの 柳本々々
(日経新聞・日経歌壇2016年5月22日・穂村弘 選)
【穂村弘さんから頂いた選評】「だいじょうぶです」という答えのズレ方と、言いさしの終わり方が不穏な空気を生み出した。
【ゼリーのために】
さいきん出た俳誌『オルガン』に福田若之さんが小津夜景論を書かれていて、ロラン・バルトのような断片形式の《アバラヤ化》されたスタイルの文章でとてもおもしろかったんですが、そのなかで夜景さんの俳句のなかではたびたび《損なわれることによって(非)構造物が生まれる》というようなことを指摘されていたんです。
〈損ない〉と〈構造〉は夜景さんのなかでセットになっている。だから夜景さんの俳句では、語りそこなったものや喪失や一歩手前や忘却がひんぱんに出てくる。
もちろん、それは構造ではないわけです。損なわれているから。でも損なわれた場所に、 構造的未遂という事件が起きる。それっておもしろいなとおもったんです。とくに夜景さんの代表作は「出アバラヤ記」というタイトルで、まさに〈アバラヤ〉って構造があばら化してる場所なんですよね。
で、わたしときどき思うんですが、〈なんでもない日常〉のほうが過激でドラマチックな場合ってあるよね、っておもうんです。なんでもなく、ふと口をついて出たことばとか。それってたぶん、構造化がまだできていない言葉だからだとおもうんですよね。ドラマツルギーとかテンプレートをもたない、ことば。ゼリーみたいなことば。
でも、定型詩は定型で、ゼリーをゼリーのままに受け止めてくれる。それが定型のダイナミズムですよね。ゼリーでいいよ、と。だから、定型詩を詠むひとはみんななんらかのゼリー職人なのかなって思ったんです。
みんな、なぜ《わざわざ》定型詩を詠むのか。
それは《こう》だからではないか。つまり、
ゼリーのために。
この中に贋の新年詠がある 福田若之
あばらやがのつぺらばうと戯れてゐる 小津夜景
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