【短歌】きみの日記…(東京新聞・東京歌壇2016年5月22日・東直子 特選)
- 2016/05/22
- 11:29
きみの日記を読む朝がくるなんて「でも」や「しかし」がきらきらしてる 柳本々々
(東京新聞・東京歌壇2016年5月22日・東直子 特選)
【東直子さんから頂いた選評】気になっている人がブログを始めたのか。あるいは、一緒に暮らして日記が読めるようになったのか。いずれにしても逆説の接続詞への感覚が新鮮。
【ぼくたちは日記になれない】
日記ってなんだろう、ってときどき考えているんですが、日記ってたぶん、《日付によってしか分節しえない言葉》なんじゃないかとおもうんですよね。
その点において、日記って基本的に解釈しようがないものなんじゃないかと思うんです。なぜなら、日記のことばにいつも意味を与えられるのは、《日付》だけだから。
だから裏返せば、日記ってなにを書いても意味がうまれるんですよね。なにも書かなくてもいい。なにも書かなくても日付が意味を保証する。むしろ、なにも書かない日が意味をもってくる場合もある。
だから日記は意味がずっと真空状態に置かれる場所なんだけれども、でもそれを読んだひとは、そこに《日付》を無視してじぶんを投影し、物語をつくる作業にいそしむというフシギな《物語の現場》もまた日記なんじゃないかとおもうんです。
だから日記はいつもきらきらしている。解釈しようがないのに解釈の現場そのものになるから、意味が輝いている。
長い手紙の終わりの文字の低姿勢つくづく読めばつくづく哀し 東直子
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