【お知らせ】「【短詩時評 第19公演】現代川柳・虚構・アイドル論-第二回現代川柳フリマ 山田消児×小池正博「短歌の虚構・川柳の虚構」レポート-」『BLOG俳句新空間 第43号』
- 2016/05/28
- 09:40
『 BLOG俳句新空間 第43号』にて「【短詩時評 第19公演】現代川柳・虚構・アイドル論-第二回現代川柳フリマ 山田消児×小池正博「短歌の虚構・川柳の虚構」レポート-」という文章を載せていただきました。『BLOG俳句新空間』編集部にお礼申し上げます。ありがとうございました!
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
川柳フリマでは前半に石田柊馬さんが「句集でたどる現代川柳の歩み」について講演されて、で、そのとき柊馬さんは現代川柳にどのように〈フィクション〉が持ち込まれたかという話をされたんですけれど、そこからわたしたちがなにを学べるかというと、今わたしたちが立って表現している土壌というものは決してナチュラル=自然なものではなくて、歴史的にある時点で構造化されたものである、っていうことだと思うんです。そういう自分の土壌に対して歴史的自覚をもつことってとても大事だと思うんですね。ちなみに私が印象に残った柊馬さんの言葉は「中村冨二のフフフは、小池正博のフフフに通じている」という言葉で、〈フフフ〉をめぐって川柳の歴史をいっぽん通すってすごくおもしろいなって思いました。川柳史観というか。
後半は山田消児さんと小池正博さんの対談だったんですが、お二人が話されていたことのひとつに、虚構を考えるときに〈A-B〉のその〈-〉という間の関わり合いを考えることが大事というのがあったように思うんですよね。つまり、なにとなにが関わっているかというその〈関わり合い〉を考えることが大事だと。
たとえば小池さんがおっしゃったことだけれども、川柳の虚構を考えるにあたっては、川柳は題詠が多いですから、題詠と虚構の関わり合いを考えるのが大事になってくる。でもこの題詠と虚構の問題は短歌にも通じていると思うんですね。たとえば穂村弘さんが雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載されている「短歌ください」は巨大な題詠の短歌広場のようなところがあるけれど、あの広場でひとつ問われているのは、〈どう〉虚構を肉体的に構造化できるかということなんじゃないかと思うんです。それは穂村さんの短歌のテーマでもあるように思うんだけれど、明らかな虚構なんだけれども、でもどこかで肉体的なわたくし性に基づいてもいる。そういう虚構を考える題詠をめぐる場所が「短歌ください」の場所でもあると思うんですよ。
そういう〈関わり合い〉からジャンルを通底しているテーマを考えるというのは興味深いことだなと今回、短歌と川柳がクロスした対談をききながら思いました。
ヒトラーユーゲントの脛毛にチャコはすがりつく 山田ゆみ葉
【附録】
もともととゆく川柳フリマ紀行~柳本純情詩集~
お時間のあるときにお読みくだされば、さいわいです。
川柳フリマでは前半に石田柊馬さんが「句集でたどる現代川柳の歩み」について講演されて、で、そのとき柊馬さんは現代川柳にどのように〈フィクション〉が持ち込まれたかという話をされたんですけれど、そこからわたしたちがなにを学べるかというと、今わたしたちが立って表現している土壌というものは決してナチュラル=自然なものではなくて、歴史的にある時点で構造化されたものである、っていうことだと思うんです。そういう自分の土壌に対して歴史的自覚をもつことってとても大事だと思うんですね。ちなみに私が印象に残った柊馬さんの言葉は「中村冨二のフフフは、小池正博のフフフに通じている」という言葉で、〈フフフ〉をめぐって川柳の歴史をいっぽん通すってすごくおもしろいなって思いました。川柳史観というか。
後半は山田消児さんと小池正博さんの対談だったんですが、お二人が話されていたことのひとつに、虚構を考えるときに〈A-B〉のその〈-〉という間の関わり合いを考えることが大事というのがあったように思うんですよね。つまり、なにとなにが関わっているかというその〈関わり合い〉を考えることが大事だと。
たとえば小池さんがおっしゃったことだけれども、川柳の虚構を考えるにあたっては、川柳は題詠が多いですから、題詠と虚構の関わり合いを考えるのが大事になってくる。でもこの題詠と虚構の問題は短歌にも通じていると思うんですね。たとえば穂村弘さんが雑誌『ダ・ヴィンチ』で連載されている「短歌ください」は巨大な題詠の短歌広場のようなところがあるけれど、あの広場でひとつ問われているのは、〈どう〉虚構を肉体的に構造化できるかということなんじゃないかと思うんです。それは穂村さんの短歌のテーマでもあるように思うんだけれど、明らかな虚構なんだけれども、でもどこかで肉体的なわたくし性に基づいてもいる。そういう虚構を考える題詠をめぐる場所が「短歌ください」の場所でもあると思うんですよ。
そういう〈関わり合い〉からジャンルを通底しているテーマを考えるというのは興味深いことだなと今回、短歌と川柳がクロスした対談をききながら思いました。
ヒトラーユーゲントの脛毛にチャコはすがりつく 山田ゆみ葉
【附録】
もともととゆく川柳フリマ紀行~柳本純情詩集~
- 関連記事
-
- 【お知らせ】新聞取材記事「インタビュー・柳本々々さんって? 挑む投稿」東京新聞夕刊2018年2月2日 (2018/02/05)
- 【お知らせ】「【短詩時評 第六羽】俳誌『オルガン』の墜落(Fall)する俳句を読む-ときどきは未知の暴力的出来事(Violent Unkown Event)を暴力的に思い出しながら-」『BLOG俳句新空間 第30号』 (2015/11/13)
- 【お知らせ】イラスト連載「やぎもともともとのゆらゆら絵川柳 第2回 佐藤幸子と〈茹で言語(ゆでことば)〉」(『あざみ通信16号』2016年3月) (2016/04/03)
- 【お知らせ】句集評「やがてを育む」『あざみ通信』19号、2017年10月 (2017/11/04)
- 【お知らせ】「おしまい日記 第2回 野間幸恵と流れる」『川柳スパイラル』2018年3月 (2018/03/20)
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々のお知らせ