【感想】扇風機もっとも強きとき背中 北川美美
- 2016/05/29
- 23:06
扇風機もっとも強きとき背中 北川美美
【扇風機の記号学】
扇風機とはなにかって考えたときに、それはたゆまぬ反復としての記号運動といえるんではないかと思うんですね。
ずっと首振りをしているわけですよね。とくにこの句にしたがえば、この句の扇風機は首振りをしていますね。もっとも強きときがあるということはもっとも弱きときもあるんだから。
で、扇風機としてはおなじ位置でおなじふうに首振りをしているんだけれど、わたしたちの身体は微妙にずっとズレ続けていくから、反復がズレていく。そこに意味が派生していく差、差延のようなものがでてきて記号が増幅していく。そういう記号反復運動が扇風機にはあるんではないかとおもうんですね。今わたしのうしろでもまわっているけれど、そう、おもうんです。
で、この句が、この句の扇風機的身体性としておもしろいのは、なんども〈き=ki〉音が反復されることです。
せんぷう〈き〉もっともつよ〈き〉と〈き〉せな〈か〉
こんなふうに。首振りの扇風機のように〈き〉がなんどもやってくる。そしてさいごにキ音がK音を介してカ音へとズレていくのはこれは扇風機のズレじゃなくてわたしたちの身体の微妙なズレだとおもうんですよね。
扇風機はおなじことしかできないんだけれど、わたしたちはわたしたちの身体に対して〈もっとも強〉い強度としての〈ズレ〉=差異を見出してしまう。そのとき、記号は増幅されて、反芻されるキはズレてゆく。これはそういう句なのではないか。
夕立の中へどんどん入つていく 北川美美
是枝裕和『誰も知らない』(2004)。この映画って反復の映画だと思うんですね。こどもたちが親を失って食べ物や時間がつぶせる場所をなんどもなんどもおなじふうに繰り返していく。そのうちに観ているほうは、貧困とはもしかしたらズレが抹消されてそこに純粋な反復しかなくなることなのではないかと気がついていく。親っていう存在は子になにを与える存在なのかというとおそらく反復にズレを与える存在だとおもうんですね。でもその親が消えてしまう。そしてその〈反復〉が繰り返されていることを〈誰も知らない〉。これはそういう〈反復〉と〈貧困〉がセットになっている映画なんじゃないかと思うんです。
【扇風機の記号学】
扇風機とはなにかって考えたときに、それはたゆまぬ反復としての記号運動といえるんではないかと思うんですね。
ずっと首振りをしているわけですよね。とくにこの句にしたがえば、この句の扇風機は首振りをしていますね。もっとも強きときがあるということはもっとも弱きときもあるんだから。
で、扇風機としてはおなじ位置でおなじふうに首振りをしているんだけれど、わたしたちの身体は微妙にずっとズレ続けていくから、反復がズレていく。そこに意味が派生していく差、差延のようなものがでてきて記号が増幅していく。そういう記号反復運動が扇風機にはあるんではないかとおもうんですね。今わたしのうしろでもまわっているけれど、そう、おもうんです。
で、この句が、この句の扇風機的身体性としておもしろいのは、なんども〈き=ki〉音が反復されることです。
せんぷう〈き〉もっともつよ〈き〉と〈き〉せな〈か〉
こんなふうに。首振りの扇風機のように〈き〉がなんどもやってくる。そしてさいごにキ音がK音を介してカ音へとズレていくのはこれは扇風機のズレじゃなくてわたしたちの身体の微妙なズレだとおもうんですよね。
扇風機はおなじことしかできないんだけれど、わたしたちはわたしたちの身体に対して〈もっとも強〉い強度としての〈ズレ〉=差異を見出してしまう。そのとき、記号は増幅されて、反芻されるキはズレてゆく。これはそういう句なのではないか。
夕立の中へどんどん入つていく 北川美美
是枝裕和『誰も知らない』(2004)。この映画って反復の映画だと思うんですね。こどもたちが親を失って食べ物や時間がつぶせる場所をなんどもなんどもおなじふうに繰り返していく。そのうちに観ているほうは、貧困とはもしかしたらズレが抹消されてそこに純粋な反復しかなくなることなのではないかと気がついていく。親っていう存在は子になにを与える存在なのかというとおそらく反復にズレを与える存在だとおもうんですね。でもその親が消えてしまう。そしてその〈反復〉が繰り返されていることを〈誰も知らない〉。これはそういう〈反復〉と〈貧困〉がセットになっている映画なんじゃないかと思うんです。
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