【お知らせ】「フシギな短詩・5月のまとめ」『およそ日刊「俳句新空間」』
- 2016/05/31
- 00:26
今月のテーマは《迂回》ということになるのかなとふりかえってみて思いました。
わたしは《迂回》っていうものを肯定的にとらえていて、《遠回り》や《迂遠》っていうのはじぶんの生をみつめかえすチャンスなのかなっておもうんですよね。いつもとはちがったふうにじぶんの生をみつめかえすこと。それが迂回なんじゃないのかなっておもうんです。
なかはらさんの回避や中澤系さんの理解、ブローティガンの勇気や野間幸恵さんの水流、米川千嘉子さんの投影、みんな、生をみつめなおすための《迂回》のようにおもいます。
わたしがこれらの短詩から学んだのは、迂回にも練習がひつようだということです。迂回するためのレッスンがいる。それをわたしはこれらの短詩から学んだようにおもいます。
なんどでも絶望するたびにこれら短詩のことを考え直すとおもいます。また迂回するために。
【15、なかはられいこさんと回避】
わたしたちは、わたしたちがいつも語ろうとしない〈回避〉のなかに《こそ》、棲みつづけている。
【16、中澤系さんと理解】
「誰もが未来のどこかの地点で、世界から「理解できない人は」と告げられることになる。「下がって」と」
【17、リチャード・ブローティガンさんと俳句】
「森の中をこっそりと動いてゆくオオカミのように、書くということの、ひとりぼっちの道すじをたどりつづける勇気」
【18、野間幸恵さんと水】
たえず〈ここ〉になることのできない〈ここ〉がわたしたちのなかに〈ある〉。水、のような。
【19、米川千嘉子さんと主人公】
どんなに「死のうと思って」も、たえず、歌を、言語を、顔をとおして〈わたし〉に複数性を与えること。もうひとつの生を。どんなに生が行き詰まっても、わたしたちはわたしとわたしの往還をつづける限り、どうにか、なる。
わたしは《迂回》っていうものを肯定的にとらえていて、《遠回り》や《迂遠》っていうのはじぶんの生をみつめかえすチャンスなのかなっておもうんですよね。いつもとはちがったふうにじぶんの生をみつめかえすこと。それが迂回なんじゃないのかなっておもうんです。
なかはらさんの回避や中澤系さんの理解、ブローティガンの勇気や野間幸恵さんの水流、米川千嘉子さんの投影、みんな、生をみつめなおすための《迂回》のようにおもいます。
わたしがこれらの短詩から学んだのは、迂回にも練習がひつようだということです。迂回するためのレッスンがいる。それをわたしはこれらの短詩から学んだようにおもいます。
なんどでも絶望するたびにこれら短詩のことを考え直すとおもいます。また迂回するために。
【15、なかはられいこさんと回避】
わたしたちは、わたしたちがいつも語ろうとしない〈回避〉のなかに《こそ》、棲みつづけている。
【16、中澤系さんと理解】
「誰もが未来のどこかの地点で、世界から「理解できない人は」と告げられることになる。「下がって」と」
【17、リチャード・ブローティガンさんと俳句】
「森の中をこっそりと動いてゆくオオカミのように、書くということの、ひとりぼっちの道すじをたどりつづける勇気」
【18、野間幸恵さんと水】
たえず〈ここ〉になることのできない〈ここ〉がわたしたちのなかに〈ある〉。水、のような。
【19、米川千嘉子さんと主人公】
どんなに「死のうと思って」も、たえず、歌を、言語を、顔をとおして〈わたし〉に複数性を与えること。もうひとつの生を。どんなに生が行き詰まっても、わたしたちはわたしとわたしの往還をつづける限り、どうにか、なる。
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