【お知らせ】はらだ有彩「6月のヤバい女の子/夏服とヤバい女の子」『アパートメント』レビュー
- 2016/06/01
- 23:09
気ままに暮らしているだけで人を傷つけてしまう女の子。出会ってしまったら一巻の終わり。だけど毎年夏のはじめにあなたの瑞々しい影を見ることができないのは、もったいないような気がしてしまうよ はらだ有彩
*
ウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第13回目の今月のはりーさんの文章は「夏服とヤバい女の子」という『遠野物語』の「山姫」と夏服をめぐるエッセイです。
はりーさんの描く絵の赤ってすごくきれいなんですよね。
しかも今回絵をみていて女性のさまざまな部分ごとに赤がふられているのでいろんな意味をもつ赤なんだなあと思ったんですよ。
髪、くちびる、服、他者との接点に赤色がふられている。そこが他者との入り口でもあるし、防衛ラインでもある。そういう他者がゆきかう場所に彼女たちの赤色がビビッドに映えている。
考えてみると今回のテーマの〈衣服〉というものも、肌以上にひととの接点でもあるし、皮膚いじょうに皮膚なのかもしれませんよね。ひとは衣服というもうひとつの皮膚を他者と自分を投影しながら毎日新調しているのかもしれない。そしてその皮膚をとおして他者は未来からやってくるのかもしれない。
その意味で〈見た目〉はたぶん〈大事〉なんですよね。それはいつも未来からやってくるだれかの〈入り口〉になるから。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。
※ ※
最大の難関白いシャツを着る 竹井紫乙
(句集『ひよこ』)
わがままでいよう木綿のワンピース 泉紅実
(句集『シンデレラの斜面』)
*
今回のはりーさんの文章のテーマは〈夏服とヤバい女の子〉。柳田國男『遠野物語』の「山姫」と衣服をめぐるお話でした。
今回のはりーさんの絵をみていて思ったんですが、はりーさんが描く女の子は〈赤〉がすごく印象的に描かれているんですよね。あるときは、くちびるの色、あるときは髪の色、あるときはワンピースの色、あるときは帽子の色。
モノトーンのなかで赤だけが燃えるように彼女たちの身体のパーツを覆っている。彼女たちの存在は、いつも〈赤〉が先だっているんです。赤がなにかを語り始めている。
はりーさんは〈なにを考えているかわからない〉「山姫」がそれでも新しい〈夏服〉を着て鏡の前に立つことを想像していたけれど、衣服っていうのはもしかしたら〈わたし〉よりも前に・先に立って〈なにかをおしゃべりしはじめている〉ものなのかも知れないなって思うんです。
つまり、わたしたちは服を着ているのではない。そうではなくて、わたしたちが〈服に追いついていく〉のが、〈服を着る〉ということなのではないかと。
だからはりーさんの絵に描かれた女の子たちも語り出してしまった〈赤〉に追いつこうとして走り出している。だから彼女たちがたとえうつむきがちな視線であったとしても、〈赤〉とともに走っているまっさいちゅうそのものであることがわかる。
存在がうしろにいられないんです。赤がはしりはじめているんだから。
〈赤〉をまとってしまうということはそういうことなのではないかと思うんです。どれだけ物怖じしてももううしろにはいられない。わたしたちはいつも服を着ることによって、語り始めた服に、〈いま〉追いつこうとしている。服を着ながら。服に着られながら。そのとき、ひとは、その走っている過程のなかで、きらきらするんじゃないかと。
服を着るって、たぶん、走ることなんです。いや、今回のはりーさんの文章をみて、絵をみて、わたしは、そう思ったんです。服はいつでも〈出発〉なんだって。
姉妹夏服ほそながい舟を押す 田島健一
(『オルガン』2号)
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ウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第13回目の今月のはりーさんの文章は「夏服とヤバい女の子」という『遠野物語』の「山姫」と夏服をめぐるエッセイです。
はりーさんの描く絵の赤ってすごくきれいなんですよね。
しかも今回絵をみていて女性のさまざまな部分ごとに赤がふられているのでいろんな意味をもつ赤なんだなあと思ったんですよ。
髪、くちびる、服、他者との接点に赤色がふられている。そこが他者との入り口でもあるし、防衛ラインでもある。そういう他者がゆきかう場所に彼女たちの赤色がビビッドに映えている。
考えてみると今回のテーマの〈衣服〉というものも、肌以上にひととの接点でもあるし、皮膚いじょうに皮膚なのかもしれませんよね。ひとは衣服というもうひとつの皮膚を他者と自分を投影しながら毎日新調しているのかもしれない。そしてその皮膚をとおして他者は未来からやってくるのかもしれない。
その意味で〈見た目〉はたぶん〈大事〉なんですよね。それはいつも未来からやってくるだれかの〈入り口〉になるから。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。
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最大の難関白いシャツを着る 竹井紫乙
(句集『ひよこ』)
わがままでいよう木綿のワンピース 泉紅実
(句集『シンデレラの斜面』)
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今回のはりーさんの文章のテーマは〈夏服とヤバい女の子〉。柳田國男『遠野物語』の「山姫」と衣服をめぐるお話でした。
今回のはりーさんの絵をみていて思ったんですが、はりーさんが描く女の子は〈赤〉がすごく印象的に描かれているんですよね。あるときは、くちびるの色、あるときは髪の色、あるときはワンピースの色、あるときは帽子の色。
モノトーンのなかで赤だけが燃えるように彼女たちの身体のパーツを覆っている。彼女たちの存在は、いつも〈赤〉が先だっているんです。赤がなにかを語り始めている。
はりーさんは〈なにを考えているかわからない〉「山姫」がそれでも新しい〈夏服〉を着て鏡の前に立つことを想像していたけれど、衣服っていうのはもしかしたら〈わたし〉よりも前に・先に立って〈なにかをおしゃべりしはじめている〉ものなのかも知れないなって思うんです。
つまり、わたしたちは服を着ているのではない。そうではなくて、わたしたちが〈服に追いついていく〉のが、〈服を着る〉ということなのではないかと。
だからはりーさんの絵に描かれた女の子たちも語り出してしまった〈赤〉に追いつこうとして走り出している。だから彼女たちがたとえうつむきがちな視線であったとしても、〈赤〉とともに走っているまっさいちゅうそのものであることがわかる。
存在がうしろにいられないんです。赤がはしりはじめているんだから。
〈赤〉をまとってしまうということはそういうことなのではないかと思うんです。どれだけ物怖じしてももううしろにはいられない。わたしたちはいつも服を着ることによって、語り始めた服に、〈いま〉追いつこうとしている。服を着ながら。服に着られながら。そのとき、ひとは、その走っている過程のなかで、きらきらするんじゃないかと。
服を着るって、たぶん、走ることなんです。いや、今回のはりーさんの文章をみて、絵をみて、わたしは、そう思ったんです。服はいつでも〈出発〉なんだって。
姉妹夏服ほそながい舟を押す 田島健一
(『オルガン』2号)
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