【短歌】フラフープ…(東京新聞・東京歌壇2016年6月26日・東直子 選)
- 2016/06/26
- 22:04
フラフープまわしたままで相談を受けてるようでふあんで(まわす) 東直子
(東京新聞・東京歌壇2016年6月26日・東直子 選)
【十階でまわす】
さいきんずっと東直子さんの『十階 短歌日記』を読んでいたんです。
はじめて降り立つ場所。はじめて会う人。みなそれぞれの理由があって、ここにいる。 東直子『十階 短歌日記』
毎日、東さんのその日の日記とその日記からの歌が一首書いてあるんですが、読んでいて思ったのは、短歌って〈剥き身〉があるんじゃないかということです。〈短歌の剥き身〉。
それはどういうことかというと、出来事は出来事のままで歌になるわけではない。出来事から歌になるにはある〈命がけの飛躍〉のようなものがいるんですね。こうでなくてはならない、という定型をとおした意志のような。わたしにとってのゆいいつむにの〈出来事観〉をそこに歌として成型する。
で、本来的には、その〈飛躍のあと〉を、あとだけを、みている。歌として。でも、短歌日記にはその〈飛躍〉がそのまま描かれている。出来事と、出来事から歌への飛翔を。そういう〈短歌の剥き身〉がそこにあらわれているのがおもしろいなって思ったんです。短歌《の》ことを考えるのではなく、短歌《への》ことをかんがえる。東さんの本はそのためのひとつの道案内になっているんじゃないかっておもったんです。
みんな歌うために命がけの飛躍をしていく。そのために、いや、そのあとに、飛んでしまったあとに、翼をもっていたんだっていうことに、今さらながらきづく。
どこへいくときもついてきてくれる幻になってもまだあたたかい 東直子
(東京新聞・東京歌壇2016年6月26日・東直子 選)
【十階でまわす】
さいきんずっと東直子さんの『十階 短歌日記』を読んでいたんです。
はじめて降り立つ場所。はじめて会う人。みなそれぞれの理由があって、ここにいる。 東直子『十階 短歌日記』
毎日、東さんのその日の日記とその日記からの歌が一首書いてあるんですが、読んでいて思ったのは、短歌って〈剥き身〉があるんじゃないかということです。〈短歌の剥き身〉。
それはどういうことかというと、出来事は出来事のままで歌になるわけではない。出来事から歌になるにはある〈命がけの飛躍〉のようなものがいるんですね。こうでなくてはならない、という定型をとおした意志のような。わたしにとってのゆいいつむにの〈出来事観〉をそこに歌として成型する。
で、本来的には、その〈飛躍のあと〉を、あとだけを、みている。歌として。でも、短歌日記にはその〈飛躍〉がそのまま描かれている。出来事と、出来事から歌への飛翔を。そういう〈短歌の剥き身〉がそこにあらわれているのがおもしろいなって思ったんです。短歌《の》ことを考えるのではなく、短歌《への》ことをかんがえる。東さんの本はそのためのひとつの道案内になっているんじゃないかっておもったんです。
みんな歌うために命がけの飛躍をしていく。そのために、いや、そのあとに、飛んでしまったあとに、翼をもっていたんだっていうことに、今さらながらきづく。
どこへいくときもついてきてくれる幻になってもまだあたたかい 東直子
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