【お知らせ】はらだ有彩「7月のヤバい女の子/口紅とヤバい女の子」『アパートメント』レビュー
- 2016/07/01
- 23:20
誰も敵わないくらい大きな力を秘めたくちびる。私は赤いオープンカーに山ほど口紅を積んであなたにプレゼントしたいけれど、免許がないので直接持っていくね。 はらだ有彩
※
レビュー担当をさせていただいているウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第14回目の今月のはりーさんの文章は「口紅とヤバい女の子」という妖怪けらけら女と口紅をめぐるエッセイです。
今回のけらけら女を背の高さからとらえるって視点もとてもおもしろいなあって思ったんですよね。日常的な身体感覚からとらえなおす妖怪というか。
けらけら女の高さ。〈くちびる〉がありえない高さにあるということはそれだけでこわいことですよね。はりーさんが書いていたようにいろいろ意味が変わってくる。
鳥山石燕の画って水木しげるの絵とは違って妖怪におののいている人間は排除されていますよね。図鑑みたいに妖怪だけが描かれてる。そのぶん、なにか人間にとらえられない〈超越的な高さ〉のようなものが画からでているような気がするんですよね。
はりーさんの文章を読んでいていつも思うんですが、ガーリーな文脈で読み直す妖怪史や怪談史ってとても新鮮だなっておもうんですよね。そこには現代サブカルチャーの問題もあるしジェンダーの問題もでてくる。妖怪はもしかしたらガーリーッシュなものかもしれないですね。〈女の子〉から考える妖怪史。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。
※ ※
笑え笑え笑え。
飾れ飾れ飾れ。
──笑わなければ。
笑われる。
けらけらけらけら。
──笑われている。
怯気(びく)りと見上げる。
窓の外。
垣根越しに空一杯に──。
大きな女が純子を哂(あざわら)っていた。
(京極夏彦「第六夜 倩兮女」『百鬼夜行 陰』
*
今回はりーさんは「けらけら女」の〈大きさ〉に着目していましたよね。
妖怪・けらけら女がわたしたちと同じ身長だったとしたら、その笑いだって別の意味になっただろう。もっと友好的なものだったろうと。
でも、けらけら女は、鳥山石燕の絵をみてもわかるように〈巨大〉なんですね。わたしたちはけらけら女からいつも見下ろされる位置にある。だからいくらけらけら女が笑顔で、やさしい微笑でこちらをみたとしても、それは、嘲笑に見える。
で、はりーさんの指摘がおもしろいなと思ったのは、わたしたちを支配しているのは実は〈位置〉だということです。はりーさんの今回の文章は口紅やキスの話で終わっていくんだけれども、くちびるやキスがいったいどういう位置関係にあるかでいろんなものごとのありかた、関係のありかたが変わってきますよね。
たとえばドストエフスキーの『罪と罰』でラスコリニコフはとつぜん大地にキスをするんだけれども、そうした〈くちびる〉の下降というのは英雄を気取って殺人をおかしていた彼にはとっても意味が深いわけです。ドストエフスキーでなくても、〈土下座〉によって下降するくちびるの位置を思い出しても、いい。
くちびるやキスがどのような〈位置〉でなされるかによってわたしたちの世界はその意味性がすさまじく変化します。けらけら女はそれを教えてくれる妖怪なんじゃないか。
そういえば短歌でこんな歌があるんです。くちびるが、キスが、世界を定め、測位する行為であることを、詩の領域から喝破したすごい歌だと、おもう。
木にキスをする少年の唇が木の唇の位置を定める 木下龍也
(『きみを嫌いな奴はクズだよ』)
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レビュー担当をさせていただいているウェブマガジン『アパートメント』の毎月始めに更新されるはらだ有彩(はりー)さんの「日本のヤバい女の子」。
連載第14回目の今月のはりーさんの文章は「口紅とヤバい女の子」という妖怪けらけら女と口紅をめぐるエッセイです。
今回のけらけら女を背の高さからとらえるって視点もとてもおもしろいなあって思ったんですよね。日常的な身体感覚からとらえなおす妖怪というか。
けらけら女の高さ。〈くちびる〉がありえない高さにあるということはそれだけでこわいことですよね。はりーさんが書いていたようにいろいろ意味が変わってくる。
鳥山石燕の画って水木しげるの絵とは違って妖怪におののいている人間は排除されていますよね。図鑑みたいに妖怪だけが描かれてる。そのぶん、なにか人間にとらえられない〈超越的な高さ〉のようなものが画からでているような気がするんですよね。
はりーさんの文章を読んでいていつも思うんですが、ガーリーな文脈で読み直す妖怪史や怪談史ってとても新鮮だなっておもうんですよね。そこには現代サブカルチャーの問題もあるしジェンダーの問題もでてくる。妖怪はもしかしたらガーリーッシュなものかもしれないですね。〈女の子〉から考える妖怪史。
以下は、わたしが今回『アパートメント』のレビュー欄に書いたレビューです。
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笑え笑え笑え。
飾れ飾れ飾れ。
──笑わなければ。
笑われる。
けらけらけらけら。
──笑われている。
怯気(びく)りと見上げる。
窓の外。
垣根越しに空一杯に──。
大きな女が純子を哂(あざわら)っていた。
(京極夏彦「第六夜 倩兮女」『百鬼夜行 陰』
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今回はりーさんは「けらけら女」の〈大きさ〉に着目していましたよね。
妖怪・けらけら女がわたしたちと同じ身長だったとしたら、その笑いだって別の意味になっただろう。もっと友好的なものだったろうと。
でも、けらけら女は、鳥山石燕の絵をみてもわかるように〈巨大〉なんですね。わたしたちはけらけら女からいつも見下ろされる位置にある。だからいくらけらけら女が笑顔で、やさしい微笑でこちらをみたとしても、それは、嘲笑に見える。
で、はりーさんの指摘がおもしろいなと思ったのは、わたしたちを支配しているのは実は〈位置〉だということです。はりーさんの今回の文章は口紅やキスの話で終わっていくんだけれども、くちびるやキスがいったいどういう位置関係にあるかでいろんなものごとのありかた、関係のありかたが変わってきますよね。
たとえばドストエフスキーの『罪と罰』でラスコリニコフはとつぜん大地にキスをするんだけれども、そうした〈くちびる〉の下降というのは英雄を気取って殺人をおかしていた彼にはとっても意味が深いわけです。ドストエフスキーでなくても、〈土下座〉によって下降するくちびるの位置を思い出しても、いい。
くちびるやキスがどのような〈位置〉でなされるかによってわたしたちの世界はその意味性がすさまじく変化します。けらけら女はそれを教えてくれる妖怪なんじゃないか。
そういえば短歌でこんな歌があるんです。くちびるが、キスが、世界を定め、測位する行為であることを、詩の領域から喝破したすごい歌だと、おもう。
木にキスをする少年の唇が木の唇の位置を定める 木下龍也
(『きみを嫌いな奴はクズだよ』)
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