【短歌】壁ドンを…(「第100回 短歌ください(お題:男子)穂村弘 選」『ダ・ヴィンチ』2016年8月号)
- 2016/07/06
- 21:53
壁ドンをしてくる男子を払いのけ狼を撃つために帰った 柳本々々
(「第100回 短歌ください(お題:男子)穂村弘 選」『ダ・ヴィンチ』2016年8月号)
【まみはてがみを書いている】
さいきん穂村弘さんの『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』についてちょっと考えていて、わたしはあの歌集って〈女性〉に偽装した語り手の歌集というふうに考えていたんですが、それってちょっと違うんじゃないかとおもったんですね。
もう少し語りの位置が複雑になっている。「手紙魔」ですから「手紙」を書いているわけです。で、手紙っていうのは誰かが誰かに書くものですよね。この歌集では、「まみ」が「ほむほむ」に書いている手紙です。
このときに、語り手は「まみ」なんだけれど、「まみ」を語らせている〈語らせ手〉として「ほむほむ」がいる。つまり、〈偽装〉した語り手というよりも、「穂村弘」という主体もきちんとこの語りの構造のなかに「ほむほむ」として組み込まれているのではないかとおもったんです。
その意味で、ここには近代的主体の〈根っこ〉のようなものがあるとも言えるんじゃないかと。うーん、近代的主体といってしまっていいかわからないんだけれども、この歌集の語りの構造的布置として、主体が〈バラけない〉ようになっているなとおもったんですね。もしかしたら近代短歌の流れに意図的に接続してある歌集なんじゃないかって。
なにかこの歌集って主体とか語り手の構造をどうバラケないで、しかしマッチョな近代的主体にもならずに、歌集というものを生成していくかという歌集のようなきがするんですよ。書簡体形式もなにか近代小説の形式を思わせるし。そういう書簡体の形式をとるときに、語り手ってどういうポジションをとるのかなって思うんですよ。
おばあちゃんのバイバイは変よ、可愛いの、「おいでおいで」のようなバイバイ 穂村弘
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