【希望の川柳 十一日目 】やむをえない希望-高瀬霜石-
- 2016/07/11
- 23:03
ビビビビビ・ビビビビビビビ・ビートルズ 高瀬霜石
【川柳はビートルズにどう向き合ったか】
この句の面白さって、「ビートルズ」っていう名詞の強度にあるような気がするんです。「ビートルズ」という名詞を出したしゅんかん、すべてを語ることができてしまうような「ビートルズ」という名詞の強度。
そうすると、ほかになにを語ってしまっても定型のなかがアンバランスになる。唯一それでも定型のなかでビートルズを語りうるのだとしたら、頭の「ビ」の音を繰り返すしかない。
この句をみるとわかるんだけれど「ビビビビビ・ビビビビビビビ・」と《仕方なく》埋め合わせをするように「ビ」の音を《わざわざ》ナカグロまでつけて繰り返している。そこに繰り返すしかなかった《仕方なさ》のようなものがあらわれているとおもうんです。ほんとうはこんなことやりたくなかった、でもしかたないじゃないか、これは川柳定型なんだもの、という。
それだけで語れるものをそれでもあえて川柳定型で語ろうとしたときにひとにはどういうことが起こってしまうのか。それがこの「ビ」の反復にあらわれているんじゃないかとおもうんです。反復とはしかたなさのことなのだと。
にんげん満開敵もうっとりしてしまう 高瀬霜石
ストロンバーグ『マレフィセント』(2014)。さいきんこれまで伝統的悪役だった敵の内面を語り直すという物語が流行っていますよね。オズの魔法使いの魔女にスポットをあてた『ウィケッド』や、『ワンスアポンアタイム』の悪役の内面の語り直しなど。ちょっとだけ思うのは、他者とか敵の理解しがたさ、理解することの挫折の裏返しとしてあるんじゃないかというような気もするんですね。たとえばアメリカにとっては〈イスラム過激派〉という仮想敵がいつもいるんだけれども、ほんとうに理解が困難である、というよりも敵の選別がつかない、いったいどこにいてどういう攻撃を仕掛けてくるのか理解ができない、そのときに理解することの困難の裏返しとして、〈敵を理解できる物語〉が生まれてくるんじゃないか。もうひとつは、敵の形象がまったく変わってしまったということです。たとえばテロを考えてみれば、悪い魔女もフック船長もマレフィセントもみんなおなじ〈アメリカ人〉として〈味方〉だったのではないか、かれらはおなじ〈アメリカ人〉として《やむなく》〈敵〉だっただけで、ほんとうの〈敵〉はもっとちがうところにいるんだ、物語を共有できないところにいるんだという〈理解〉です。なんで悪役の内面がさぐられるようになったのか、興味深いところです。
【川柳はビートルズにどう向き合ったか】
この句の面白さって、「ビートルズ」っていう名詞の強度にあるような気がするんです。「ビートルズ」という名詞を出したしゅんかん、すべてを語ることができてしまうような「ビートルズ」という名詞の強度。
そうすると、ほかになにを語ってしまっても定型のなかがアンバランスになる。唯一それでも定型のなかでビートルズを語りうるのだとしたら、頭の「ビ」の音を繰り返すしかない。
この句をみるとわかるんだけれど「ビビビビビ・ビビビビビビビ・」と《仕方なく》埋め合わせをするように「ビ」の音を《わざわざ》ナカグロまでつけて繰り返している。そこに繰り返すしかなかった《仕方なさ》のようなものがあらわれているとおもうんです。ほんとうはこんなことやりたくなかった、でもしかたないじゃないか、これは川柳定型なんだもの、という。
それだけで語れるものをそれでもあえて川柳定型で語ろうとしたときにひとにはどういうことが起こってしまうのか。それがこの「ビ」の反復にあらわれているんじゃないかとおもうんです。反復とはしかたなさのことなのだと。
にんげん満開敵もうっとりしてしまう 高瀬霜石
ストロンバーグ『マレフィセント』(2014)。さいきんこれまで伝統的悪役だった敵の内面を語り直すという物語が流行っていますよね。オズの魔法使いの魔女にスポットをあてた『ウィケッド』や、『ワンスアポンアタイム』の悪役の内面の語り直しなど。ちょっとだけ思うのは、他者とか敵の理解しがたさ、理解することの挫折の裏返しとしてあるんじゃないかというような気もするんですね。たとえばアメリカにとっては〈イスラム過激派〉という仮想敵がいつもいるんだけれども、ほんとうに理解が困難である、というよりも敵の選別がつかない、いったいどこにいてどういう攻撃を仕掛けてくるのか理解ができない、そのときに理解することの困難の裏返しとして、〈敵を理解できる物語〉が生まれてくるんじゃないか。もうひとつは、敵の形象がまったく変わってしまったということです。たとえばテロを考えてみれば、悪い魔女もフック船長もマレフィセントもみんなおなじ〈アメリカ人〉として〈味方〉だったのではないか、かれらはおなじ〈アメリカ人〉として《やむなく》〈敵〉だっただけで、ほんとうの〈敵〉はもっとちがうところにいるんだ、物語を共有できないところにいるんだという〈理解〉です。なんで悪役の内面がさぐられるようになったのか、興味深いところです。
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