【短歌】首を振り…(東京新聞・東京歌壇2016年7月17日 東直子 選)
- 2016/07/17
- 20:09
首を振りかんがえている扇風機、の比喩はもうやめろと扇風機が 柳本々々
(東京新聞・東京歌壇2016年7月17日 東直子 選)
【〈人非人〉のせかい】
川柳をずっと見ていて思うのは、川柳は人間を描くというよりは、非人間を描くことを本懐とするのではないかということです。
夜の海生きているって懐かしい 一帆
わたし、ずっとずっとの「つ」です よろしくね! 守田啓子
おしりからWindows10にされる 月波与生
トラウマのウですけれどと声を出す 徳田ひろ子
『おかじょうき』2016年7月号からとってみたんですが、これらの句はどれも〈人間でないもの〉=非人間を描いたものなんですよね。一帆さんの句はいっけん人間を描いたもののようにみえるけれど、生きているという現在の時間に懐かしさとしてのずっと昔の時間を見出すことによって人間を超えているように思うんですよ。
そして特徴的なのは人間でないにもかかわらずみんな〈いきいき〉しているということです。サラリーマン川柳が描くおちゃめで・おかしな・零落した人間ではない(でもサラリーマン川柳の描く人間も、零落した人間の姿ととらえるとたいへん興味深いのではないかと思っています。サラリーマン川柳についてはきちんといつか考えたいなと思っています)。
ただ、モノというのもなんかちがう。川柳はもっとへんな領域にのりりだしている。トラウマのウやずっとずっとのつに。
ちょっと思ったのがこれだけモノが躍動しているのは、〈サラリーマン〉という人間主体をダイナミックに回避していく、アンチサラリーダイナミズムではないかということです。その意味では、これらの詩の核にはもしかするとあまりに人間的なサラリーマンがうずくまっているかもしれない。そのサラリーマンを回避してみんな跳躍していく。
だから、ひょっとするとなんだけれど、詩性川柳は、その核に〈うずくまるサラリーマン〉を抱いているのかもしれないとおもうんです。うずくまる、疲弊したサラリーマンにならないよう、大ジャンプをとげること。それが詩性川柳のダイナミズムなのかもしれない。
そんなふうにおもったりもするのです。
秋の陽に先生のはげやさしくて楽譜にト音記号を入れる 東直子
(東京新聞・東京歌壇2016年7月17日 東直子 選)
【〈人非人〉のせかい】
川柳をずっと見ていて思うのは、川柳は人間を描くというよりは、非人間を描くことを本懐とするのではないかということです。
夜の海生きているって懐かしい 一帆
わたし、ずっとずっとの「つ」です よろしくね! 守田啓子
おしりからWindows10にされる 月波与生
トラウマのウですけれどと声を出す 徳田ひろ子
『おかじょうき』2016年7月号からとってみたんですが、これらの句はどれも〈人間でないもの〉=非人間を描いたものなんですよね。一帆さんの句はいっけん人間を描いたもののようにみえるけれど、生きているという現在の時間に懐かしさとしてのずっと昔の時間を見出すことによって人間を超えているように思うんですよ。
そして特徴的なのは人間でないにもかかわらずみんな〈いきいき〉しているということです。サラリーマン川柳が描くおちゃめで・おかしな・零落した人間ではない(でもサラリーマン川柳の描く人間も、零落した人間の姿ととらえるとたいへん興味深いのではないかと思っています。サラリーマン川柳についてはきちんといつか考えたいなと思っています)。
ただ、モノというのもなんかちがう。川柳はもっとへんな領域にのりりだしている。トラウマのウやずっとずっとのつに。
ちょっと思ったのがこれだけモノが躍動しているのは、〈サラリーマン〉という人間主体をダイナミックに回避していく、アンチサラリーダイナミズムではないかということです。その意味では、これらの詩の核にはもしかするとあまりに人間的なサラリーマンがうずくまっているかもしれない。そのサラリーマンを回避してみんな跳躍していく。
だから、ひょっとするとなんだけれど、詩性川柳は、その核に〈うずくまるサラリーマン〉を抱いているのかもしれないとおもうんです。うずくまる、疲弊したサラリーマンにならないよう、大ジャンプをとげること。それが詩性川柳のダイナミズムなのかもしれない。
そんなふうにおもったりもするのです。
秋の陽に先生のはげやさしくて楽譜にト音記号を入れる 東直子
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