あとがきの全次元展開
- 2016/07/25
- 05:08
こないだ時評でながや宏高さんとお話させていただいたときに、〈絵と短歌〉をめぐる話って、〈1・5次元〉をめぐる話なんじゃないかなって思ったんです。短歌に絵をつけること、歌をもとに絵を描くこと。歌と絵を往還する空間をつくること。
線の文字テキストとしての1次元と、絵の平面としての2次元のあいだ、あわいにある〈1・5次元〉。
さいきん、よく聞くのは2・5次元ですが、絵と短歌の往還関係は1・5次元なんじゃないか。
で、短歌って実は全次元展開しているような気もするんですよ。
短歌の次元展開を試験的に考えてみると、1次元は線ですから、歌を文字テキストとして詠んだり/読んだりするのが1次元です。とくに一首が上から下につらぬかれていく線条性は1次元的です。
2次元は平面ですから、連作としての平面性の楽しみが出てきます。連作としての構成から一首を読み解いたり、また先ほどの話のように短歌から絵を描いて楽しむ行為は2次元です。それからこの投稿欄は好きだからいつも投稿しているとか、この選者のひとが好きだから投稿しようとかそういうのも2次元の楽しみだと思うんですよね。だからある意味では結社や同人もこの2次元に属するのかもしれない。
3次元は空間です。歌会やカルチャースクールといった現実の立体的空間における歌の楽しみが3次元です。シンポジウムや朗読やトークショーなどの短歌イヴェントもこれにあたると思います。
そして次元のあわいに、さきほどの1・5次元(一首と連作、歌と絵の往還を楽しむ)があって、もうひとつさいきんよく聞く2・5次元があります。2・5次元のわかりやすい例示はコスプレや声優、初音ミク、フィギュアなどの虚構と現実のあわいにある〈仮想〉によって成立しているものです。だから今流行りのポケモンGOなんかまさしくそうです。これを短歌においてあえていうならば、〈歌人〉というアイデンティティの次元なのではないかと思うんですよね。もしくは〈わたくし性〉も関係してくるかもしれない。現実と虚構のあわいでゆらいでいるものです。短歌はつねにそういう2・5次元のことも問題にしてきた。短歌にとって〈わたし〉と〈非わたし〉の境界を問題化する〈私性〉はずっと重要なテーマであり続けています。
そして最後にスピリチュアルの4次元があります。これは石川啄木が次から次が歌がでてきて自分自身が歌になってしまっているといったようなことを日記に書いていましたが、歌と一体化し自分自身が歌そのものになってしまうスピリチュアルな極致が4次元です。ガンダムのアニメで「俺がガンダムだ」というセリフがあるんですが、まさに「俺が短歌だ」の世界です。ですから、世界が歌そのものに見えてしまう、電話をとっても、車内アナウンスも、お弁当のメニューも、恋人の言葉も、上司の怒号も、小鳥のさえずりも、シャワーのしぶきも、すべてが歌にしか聞こえない状態、こうしたスピリチュアルな状態、「俺が短歌だ」になってしまった状態、これが短歌の4次元ではないかと思います。
短歌の全次元展開。
線の文字テキストとしての1次元と、絵の平面としての2次元のあいだ、あわいにある〈1・5次元〉。
さいきん、よく聞くのは2・5次元ですが、絵と短歌の往還関係は1・5次元なんじゃないか。
で、短歌って実は全次元展開しているような気もするんですよ。
短歌の次元展開を試験的に考えてみると、1次元は線ですから、歌を文字テキストとして詠んだり/読んだりするのが1次元です。とくに一首が上から下につらぬかれていく線条性は1次元的です。
2次元は平面ですから、連作としての平面性の楽しみが出てきます。連作としての構成から一首を読み解いたり、また先ほどの話のように短歌から絵を描いて楽しむ行為は2次元です。それからこの投稿欄は好きだからいつも投稿しているとか、この選者のひとが好きだから投稿しようとかそういうのも2次元の楽しみだと思うんですよね。だからある意味では結社や同人もこの2次元に属するのかもしれない。
3次元は空間です。歌会やカルチャースクールといった現実の立体的空間における歌の楽しみが3次元です。シンポジウムや朗読やトークショーなどの短歌イヴェントもこれにあたると思います。
そして次元のあわいに、さきほどの1・5次元(一首と連作、歌と絵の往還を楽しむ)があって、もうひとつさいきんよく聞く2・5次元があります。2・5次元のわかりやすい例示はコスプレや声優、初音ミク、フィギュアなどの虚構と現実のあわいにある〈仮想〉によって成立しているものです。だから今流行りのポケモンGOなんかまさしくそうです。これを短歌においてあえていうならば、〈歌人〉というアイデンティティの次元なのではないかと思うんですよね。もしくは〈わたくし性〉も関係してくるかもしれない。現実と虚構のあわいでゆらいでいるものです。短歌はつねにそういう2・5次元のことも問題にしてきた。短歌にとって〈わたし〉と〈非わたし〉の境界を問題化する〈私性〉はずっと重要なテーマであり続けています。
そして最後にスピリチュアルの4次元があります。これは石川啄木が次から次が歌がでてきて自分自身が歌になってしまっているといったようなことを日記に書いていましたが、歌と一体化し自分自身が歌そのものになってしまうスピリチュアルな極致が4次元です。ガンダムのアニメで「俺がガンダムだ」というセリフがあるんですが、まさに「俺が短歌だ」の世界です。ですから、世界が歌そのものに見えてしまう、電話をとっても、車内アナウンスも、お弁当のメニューも、恋人の言葉も、上司の怒号も、小鳥のさえずりも、シャワーのしぶきも、すべてが歌にしか聞こえない状態、こうしたスピリチュアルな状態、「俺が短歌だ」になってしまった状態、これが短歌の4次元ではないかと思います。
短歌の全次元展開。
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