【お知らせ】「俳句評 鴇田智哉と倉田タカシとウルトラセブン-『俳句と超短編 vol.3』を読む」『詩客 俳句時評』
- 2016/07/26
- 17:10
どこにもないはずの入り口を、おのれの形に切りひらき、黒い姿が流れに消える。いつか、戻るのだという。
倉田タカシ「ゆきかえり」
『詩客 俳句時評』に「俳句評 鴇田智哉と倉田タカシとウルトラセブン-『俳句と超短編 vol.3』を読む」を書かせていただきました。
倉田タカシさんの不思議なうねるような文体はふだんツイッターや、また『アパートメント』の〈電車小説〉でも拝見していてすごいなと思っていたんですが、この『俳句と超短編 vol.3』の「ゆきかえり」もすごかったんですね。しかも鴇田さんの不思議な俳句とかけあわされて、そこからさらに関悦史さんの俳句も加わってなんだかすごい意味空間が生まれていた。
で、この『俳句と超短編』なんですが同じ号に収録の国東さんの超短編「あしのうらのしたで」もすごくおもしろかったんですよね。巨大な神様の話なんだけれど、〈文体〉がすごくてですね。「ごめん思い出した。」で始まるんですけれど、ここから〈神様〉まで話が跳躍するとはふつうひとは思わない。で、こういうくだけた、ぶっきらぼうな、文体で、巨大な神様が語られる。なんだかそれはすさまじかったんですよ。ブラックな宮崎駿というか。
で、倉田タカシさんも国東さんも〈文体〉によっていっきに〈超〉えるなにかがあるんですね。すごく短い短編でもそれをなしてしまう。〈文体〉でそこにしかない奇跡を起こしてしまう。それってすごいことだなあって思ったんです。あらためて。文体は手品だとは思っているんだけれども、でもあらためて実感させられた。文体には奇跡が宿るんだなあとおもいました。
鮎の身となりぬタカシを救ふため 関悦史
倉田タカシ「ゆきかえり」
『詩客 俳句時評』に「俳句評 鴇田智哉と倉田タカシとウルトラセブン-『俳句と超短編 vol.3』を読む」を書かせていただきました。
倉田タカシさんの不思議なうねるような文体はふだんツイッターや、また『アパートメント』の〈電車小説〉でも拝見していてすごいなと思っていたんですが、この『俳句と超短編 vol.3』の「ゆきかえり」もすごかったんですね。しかも鴇田さんの不思議な俳句とかけあわされて、そこからさらに関悦史さんの俳句も加わってなんだかすごい意味空間が生まれていた。
で、この『俳句と超短編』なんですが同じ号に収録の国東さんの超短編「あしのうらのしたで」もすごくおもしろかったんですよね。巨大な神様の話なんだけれど、〈文体〉がすごくてですね。「ごめん思い出した。」で始まるんですけれど、ここから〈神様〉まで話が跳躍するとはふつうひとは思わない。で、こういうくだけた、ぶっきらぼうな、文体で、巨大な神様が語られる。なんだかそれはすさまじかったんですよ。ブラックな宮崎駿というか。
で、倉田タカシさんも国東さんも〈文体〉によっていっきに〈超〉えるなにかがあるんですね。すごく短い短編でもそれをなしてしまう。〈文体〉でそこにしかない奇跡を起こしてしまう。それってすごいことだなあって思ったんです。あらためて。文体は手品だとは思っているんだけれども、でもあらためて実感させられた。文体には奇跡が宿るんだなあとおもいました。
鮎の身となりぬタカシを救ふため 関悦史
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