脱力かつ努力かつあとがき
- 2016/07/28
- 02:15
どうして大岡信さんは『折々のうた』を28年も続けられたんだろう(1979~2007)とときどきふっと考えるんですが、9年目を迎える『週刊俳句』(2007~)の創刊号のあとがきでさいばら天気さんが「脱力かつ努力」の「心意気」で「とりあえず」は「続けていき」たいと書かれていて、もしかしたらそこらへんに〈秘密〉があるのかもしれないなあと思いました。
努力、っていうのはたぶんすぐ思い浮かぶことだとおもうんですよね。続けるためには努力というのは。でもさいばらさんは「努力」より前に〈まず〉「脱力」をもってきている。「努力かつ脱力」ではなく、「脱力かつ努力」と。
どうも脱力にひみつが、ある。
でも、脱力って考えてみると難しいですよね。怠惰や無力とはちがうわけです。脱力したパンチというのは、へろへろしたパンチだけれど、いちおうなでるようにやさしくそれでもパンチしてるわけだから。そういうパンチは努力よりもずっと〈れんしゅう〉がいるのかなって、おもう。
すこし視点が変わりますが、定型って〈脱力装置〉のようなところがある気がするんですよね。うわーきょうすっごいハイテンションだわーってなっていても定型がとつぜん97音に増幅することはない。落ち込んでて3音に減衰することもない。そのひとがどんなに元気だったりくたびれていたりしても17音あるいは31音です。定型は努力しても定型だし、脱力しても定型です。そういう定型と力の関係ってあるのかなと。そう考えると定型って少なくとも『万葉集』の頃からあるから、1000年は軽く続いてきたわけですよね。そういう定型がパーソナリティとして1000年以上続けてきたラジオというかオールナイトニッポンみたいなものがある。ってかんがえたときに、「脱力かつ努力」ってもしかしてゼロを考えることなんじゃないかとおもったんです。脱力+努力=0。定型のようにプラマイゼロをかんがえつづけること。さいばらさんがどこかであげられていた『週刊俳句』を続けられたコツのキーワードはたしか〈無〉でした。
努力、っていうのはたぶんすぐ思い浮かぶことだとおもうんですよね。続けるためには努力というのは。でもさいばらさんは「努力」より前に〈まず〉「脱力」をもってきている。「努力かつ脱力」ではなく、「脱力かつ努力」と。
どうも脱力にひみつが、ある。
でも、脱力って考えてみると難しいですよね。怠惰や無力とはちがうわけです。脱力したパンチというのは、へろへろしたパンチだけれど、いちおうなでるようにやさしくそれでもパンチしてるわけだから。そういうパンチは努力よりもずっと〈れんしゅう〉がいるのかなって、おもう。
すこし視点が変わりますが、定型って〈脱力装置〉のようなところがある気がするんですよね。うわーきょうすっごいハイテンションだわーってなっていても定型がとつぜん97音に増幅することはない。落ち込んでて3音に減衰することもない。そのひとがどんなに元気だったりくたびれていたりしても17音あるいは31音です。定型は努力しても定型だし、脱力しても定型です。そういう定型と力の関係ってあるのかなと。そう考えると定型って少なくとも『万葉集』の頃からあるから、1000年は軽く続いてきたわけですよね。そういう定型がパーソナリティとして1000年以上続けてきたラジオというかオールナイトニッポンみたいなものがある。ってかんがえたときに、「脱力かつ努力」ってもしかしてゼロを考えることなんじゃないかとおもったんです。脱力+努力=0。定型のようにプラマイゼロをかんがえつづけること。さいばらさんがどこかであげられていた『週刊俳句』を続けられたコツのキーワードはたしか〈無〉でした。
- 関連記事
スポンサーサイト
- テーマ:読書感想文
- ジャンル:小説・文学
- カテゴリ:々々のあとがき