【お知らせ】「前号評 すべての短歌はじゅもん」『かばん』2016年7月号
- 2016/07/30
- 06:19
さいごまでいけなかったのはじゅもんのせい Sin
川柳作家のSinさんに「さいごまでいけなかったのはじゅもんのせい」という句があるんですが、呪文ってなんだろうって考えたときにそれは最後まで意味が汲み尽くせないことなんじゃないかと思うんですよね。だから解釈しても解釈してもそこに〈なにか〉が残る短歌は実は〈呪文〉なんじゃないかと。
つまり、すべての短歌は呪文である。
ここから今回は始めてみたいと、おもいます。「さいごまでい」くために。
柳本々々「前号評 すべての短歌はじゅもん」『かばん』2016年7月
今年は『かばん』の前号評を二回書かせていただいたのですが、今回はSinさんの句をコンセプトにして、すべての短歌はじゅもんなのではないかという観点から書いてみました。いちおう私のミスがなければ、『かばん』掲載会員の方全員の歌の一首評を書かせていただいています。
Sinさんの句は「さいごまでいけなかったのはじゅもんのせい」と書かれてあるのだけれど、でも〈じゅもん〉だからこそ行くことができる〈意味の果て〉のような場所もあるんではないかと思うんですよね。
さまざまな方がつむぐ多彩な短歌にふれながら、短歌ってふしぎだなあ、定型ってマジカルだなあと思いながら、毎日、すこしずつ、書きました。とちゅう、「さいごまでいけ」るかな、Sinさんの句のように「さいごまでいけな」いんじゃないかと思い、寝込んだりもしたのですが、倒れたままで打ち込みつづけ、両脇からかかえたられたりもしつつ、なんとかさいしゅうてきには最後まで「い」くことができました。「できた」という神様も世界のはじめに唱えたであろう、最初で最後の呪文とともにファイナルの句点を打つことができたのです。
きみの体つれてきてくれてありがとう目が回るめがねを買いにいきましょう 瀬戸夏子
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