【お知らせ】川合大祐『句集 スロー・リバー』(あざみエージェント)刊行
- 2016/08/05
- 23:42
刊行された川合大祐さんの句集『スロー・リバー』(あざみエージェント、2016年)の選句作業に参加させていただきました。
この句集の第一章は「猫のゆりかご」ですが、これは言うまでもなくヴォネガットのSF小説のタイトルから取られています。
ヴォネガットの小説のコンセプトは、《嘘を大切にしよう》というフィクショナルなものへの志向だと思うんですが、川合さんのこの句集も川柳とフィクションとの関係を徹底して考え抜いていると思うんですね。
フィクションを考えるとはどういうことかといえば、フィクションそのものをたちあげるこのわたしとは誰なのかという問いも含んでいくことになるはずです。どれだけフィクションをたちあげようと語るこの私からは逃れられない。わたしはフィクションになりえない過剰性をもっている。その過剰性をフィクションのなかでどう考えていくのか。実はこれってSF小説がもっているひとつのテーマでもあるんじゃないかと思うんですね。惑星ソラリスにおいて、ソラリスの海のなかで、わたしと妻の関係が問題になっていたように、どんなにフィクションの海に投げ込まれても問題はそこで《生きられるわたし》でもあるのだから。
本句集には私達が言語を通して《過剰性》とどう向き合えばいいのかの一つの答えがあるとおもいます。ボルヘスは過剰性をパッケージングし続けた短編を書きましたが、わたしはこの川合さんの句集を読みながらボルヘスのことを思い出しました。過剰性と向き合うということは、どのようなパッケージングをわたしが持つかということでもある。そしてパッケージングは定型とも重なってきます。この句集にはさまざまな定型論が実践的にちりばめられている。
いろんなテーマが流れている河です。しかも句集は、そこを加速度ではなく、スローに、留まりながら、読むよう要請している。わたしは『スロー・リバー』というタイトルから岡崎京子や鴨長明のことを思い出しました。かれらは、リバーを、生命の流れであると同時に死の渦も思考する河を描いていた。この句集も、また、二億年という時の流れのなかで、《死ねない》人間(キャラクター)の生死をかんがえているのです。
二億年後の夕焼けに立つのび太 川合大祐
この句集の第一章は「猫のゆりかご」ですが、これは言うまでもなくヴォネガットのSF小説のタイトルから取られています。
ヴォネガットの小説のコンセプトは、《嘘を大切にしよう》というフィクショナルなものへの志向だと思うんですが、川合さんのこの句集も川柳とフィクションとの関係を徹底して考え抜いていると思うんですね。
フィクションを考えるとはどういうことかといえば、フィクションそのものをたちあげるこのわたしとは誰なのかという問いも含んでいくことになるはずです。どれだけフィクションをたちあげようと語るこの私からは逃れられない。わたしはフィクションになりえない過剰性をもっている。その過剰性をフィクションのなかでどう考えていくのか。実はこれってSF小説がもっているひとつのテーマでもあるんじゃないかと思うんですね。惑星ソラリスにおいて、ソラリスの海のなかで、わたしと妻の関係が問題になっていたように、どんなにフィクションの海に投げ込まれても問題はそこで《生きられるわたし》でもあるのだから。
本句集には私達が言語を通して《過剰性》とどう向き合えばいいのかの一つの答えがあるとおもいます。ボルヘスは過剰性をパッケージングし続けた短編を書きましたが、わたしはこの川合さんの句集を読みながらボルヘスのことを思い出しました。過剰性と向き合うということは、どのようなパッケージングをわたしが持つかということでもある。そしてパッケージングは定型とも重なってきます。この句集にはさまざまな定型論が実践的にちりばめられている。
いろんなテーマが流れている河です。しかも句集は、そこを加速度ではなく、スローに、留まりながら、読むよう要請している。わたしは『スロー・リバー』というタイトルから岡崎京子や鴨長明のことを思い出しました。かれらは、リバーを、生命の流れであると同時に死の渦も思考する河を描いていた。この句集も、また、二億年という時の流れのなかで、《死ねない》人間(キャラクター)の生死をかんがえているのです。
二億年後の夕焼けに立つのび太 川合大祐
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