【希望の川柳 十四日目】小池正博と-川合大祐-
- 2016/08/06
- 21:26
青髪の少女は行ってしまったよ 川合大祐
【構文とサブカルチャー】
川合大祐さんの句集『スロー・リバー』からの一句です。
川合さんの句集っていろんなテーマから読める句集になっていると思うんですが、ひとつ、小池正博さんの川柳との共振があるんじゃないかと思うんです。
小池正博さんの川柳の特徴のひとつに、助詞「は」から形作られる川柳空間というのがあるんじゃないかと思うんです。たとえば最近の『川柳カード』12号にも、
星読みは方向音痴なんですか 小池正博
この助詞「は」ってちょっと面白くて、A=B構文を必ず形作るわけです。「転校生は蟻まみれ」とか。このときこの助詞「は」に、つまり、=に語り手の意志が発現してくる。この=を使って空間を演出していく。それが小池さんのひとつの川柳のかたちなのではないかと思っているんですが、たとえば川合さんのこの句にもその構造は認められると思うんです。川柳にはこういう構文的共振というべきものがあるんじゃないかと。
ただ川合さんが小池さんの川柳と違うのは、「青髪の少女」というふうにサブカル的な文脈にそれを接続させていくところです。「青髪の少女」というのはアニメのキャラクターをどことなく暗示している。これは川合さんの句集において川合さん独自のテーマを生成していくでしょう。でもこの句が一句独立した場合〈アニメ的〉ななにかを感じさせないのは、《AはB》という構文が前景化した川柳になっているからじゃないかと思うんです。「青髪の少女」に重点化されるわけではなく、「青髪の少女」は「行ってしまった」ことが空間としてたちあげられている。
つまり、AはB構文というのは、AとBどちらをも特権化させない構文なんじゃないかと思うんです。そのAとBの接続そのものを問いかける構文なんじゃないかと。
マリヤその判決文は詩じゃないか 川合大祐
芝山努『ドラえもん のび太の魔界大冒険』(1984)。川合さんのこの句集にはいろんなかたちでドラえもんが出てくるんですが、ドラえもんというキャラクターが大きかったのって、はるか先の未来の時間軸を含んでいたことだと思うんですよ。これはキティーもミッフィーにもムーミンにもないんです。ドラえもんはもしかすると瓦礫と化した地球の未来を知っているかもしれない。そういう既知のキャラクターとして現在にやってきているのかもしれない。だからこそ、キャラクター性の〈幅〉があるような気がするんです。そんなに地球の未来がいい感じにならないことがわかってきたときになおさらドラえもんのキャラクター性は大きくなってくるんじゃないかと。
【構文とサブカルチャー】
川合大祐さんの句集『スロー・リバー』からの一句です。
川合さんの句集っていろんなテーマから読める句集になっていると思うんですが、ひとつ、小池正博さんの川柳との共振があるんじゃないかと思うんです。
小池正博さんの川柳の特徴のひとつに、助詞「は」から形作られる川柳空間というのがあるんじゃないかと思うんです。たとえば最近の『川柳カード』12号にも、
星読みは方向音痴なんですか 小池正博
この助詞「は」ってちょっと面白くて、A=B構文を必ず形作るわけです。「転校生は蟻まみれ」とか。このときこの助詞「は」に、つまり、=に語り手の意志が発現してくる。この=を使って空間を演出していく。それが小池さんのひとつの川柳のかたちなのではないかと思っているんですが、たとえば川合さんのこの句にもその構造は認められると思うんです。川柳にはこういう構文的共振というべきものがあるんじゃないかと。
ただ川合さんが小池さんの川柳と違うのは、「青髪の少女」というふうにサブカル的な文脈にそれを接続させていくところです。「青髪の少女」というのはアニメのキャラクターをどことなく暗示している。これは川合さんの句集において川合さん独自のテーマを生成していくでしょう。でもこの句が一句独立した場合〈アニメ的〉ななにかを感じさせないのは、《AはB》という構文が前景化した川柳になっているからじゃないかと思うんです。「青髪の少女」に重点化されるわけではなく、「青髪の少女」は「行ってしまった」ことが空間としてたちあげられている。
つまり、AはB構文というのは、AとBどちらをも特権化させない構文なんじゃないかと思うんです。そのAとBの接続そのものを問いかける構文なんじゃないかと。
マリヤその判決文は詩じゃないか 川合大祐
芝山努『ドラえもん のび太の魔界大冒険』(1984)。川合さんのこの句集にはいろんなかたちでドラえもんが出てくるんですが、ドラえもんというキャラクターが大きかったのって、はるか先の未来の時間軸を含んでいたことだと思うんですよ。これはキティーもミッフィーにもムーミンにもないんです。ドラえもんはもしかすると瓦礫と化した地球の未来を知っているかもしれない。そういう既知のキャラクターとして現在にやってきているのかもしれない。だからこそ、キャラクター性の〈幅〉があるような気がするんです。そんなに地球の未来がいい感じにならないことがわかってきたときになおさらドラえもんのキャラクター性は大きくなってくるんじゃないかと。
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