【お知らせ】おかじょうき0番線「絞」選句
- 2016/08/14
- 23:30
おかじょうき0番線で選者をさせていただきました。
お題は「絞」でした。
http://www.okajoki.com/bbs/index.php?mode=article&id=913
秀逸1 一度だけ搾乳されたことがある 青森県 まみどり
秀逸2 絞られているのか指が赤くなる 愛媛県 吉松澄子
秀逸3 雑巾キリリもっと愚かになりなさい 青森県 三浦蒼鬼
特選 絞っても絞っても声は大きい 愛知県 稲垣康江
いずれ『おかじょうき』に私の選評が掲載されますが、次のような選評を書かせていただきました。
平明過ぎるかも知れないと最初は迷ったがしかし決意をもってこの特選句に決めた。「絞る」という複雑なアクションから生まれたシンプルで力強いダイナミズム。小手先の加工技術が結局はかなわない「声」の深さ。ひとりの人間が生まれたときの、死にゆくときの句だと思った。同時にこの句は川柳論にもなっている。どれだけ定型という〈絞り〉を施してもやむことのない自分の「声」。それは川柳そのものの姿ではないか。
稲垣康江さんの特選句。選評にも書いたように「絞っても絞っても声は大きい」はプレーンに過ぎるんじゃないかと最初は迷っていたんですが、ただ何度も何度も選を練り直していくうちに最終的にやっぱり自分はこれしかないんじゃないかと思いました。〈ひとの声のやみがたさ〉。どんなに抑圧されても、どんなに虐げられても、〈声〉だけはやむことがない。その「声」が題「絞」をぬけてわたしに届いたときにつかまってしまったと思いました。なにかこの句は〈題「絞」〉と拮抗しているようにもみえました。ここ最近、毎日、新聞を読みながらこの句のことを思い出していました。もしかしたらこれは〈死者の句〉なのかもしれない。そう、おもいます。
少し秀逸句についても書かせていただくと、まみどりさんの「搾乳」の句は、「一度だけ~されたことがある」という構文の不思議な記憶の喚起の仕方がよいなと思いました。元気な構文だと下ネタ全開になってしまうと思うんですが、なにか抑圧的で心傷的な感じがします。もしかしたらこの句の絞りは「搾乳」ではなく〈記憶の絞り〉かもしれない。
吉松澄子さんの「絞られているのか」の句は意識のありかたがおもしろいなと思いました。自分ではよくわかっていない。でも身体の変化からなんとなく気づいてしまう。そういう〈絞り〉のあいまいな意識/無意識の領域。おもしろい感覚だと思いました。
三浦蒼鬼さんの「雑巾キリリ」は、「愚かになりなさい」との呼応が効いているなと思いました。わたしは川柳ってひとつ〈どれだけ愚かになることができるか〉が賭けられている文芸なんじゃないかと思うんです。どうやってひとは愚かになれるのか。それが雑巾を絞る具体的・日常的な行為からわきあがってくる。しかも「キリリ」という擬音によって雑巾絞りをぜんぜん見下していないことがわかる。雑巾ってかっこいいものだとわかる。説得力がありました。
ちなみに今回の選は佳作に入れられなかったけれども、最後まで悩んだ句がたくさんありました。異論反論は多々あると思いますが、また受け止めたいとも思っていますが、自分なりに自分にとって川柳ってなんだろうと毎日〈絞って〉考えてみました。ありがとうございました。
吐き切って百鬼夜行の中にいる 守田啓子
お題は「絞」でした。
http://www.okajoki.com/bbs/index.php?mode=article&id=913
秀逸1 一度だけ搾乳されたことがある 青森県 まみどり
秀逸2 絞られているのか指が赤くなる 愛媛県 吉松澄子
秀逸3 雑巾キリリもっと愚かになりなさい 青森県 三浦蒼鬼
特選 絞っても絞っても声は大きい 愛知県 稲垣康江
いずれ『おかじょうき』に私の選評が掲載されますが、次のような選評を書かせていただきました。
平明過ぎるかも知れないと最初は迷ったがしかし決意をもってこの特選句に決めた。「絞る」という複雑なアクションから生まれたシンプルで力強いダイナミズム。小手先の加工技術が結局はかなわない「声」の深さ。ひとりの人間が生まれたときの、死にゆくときの句だと思った。同時にこの句は川柳論にもなっている。どれだけ定型という〈絞り〉を施してもやむことのない自分の「声」。それは川柳そのものの姿ではないか。
稲垣康江さんの特選句。選評にも書いたように「絞っても絞っても声は大きい」はプレーンに過ぎるんじゃないかと最初は迷っていたんですが、ただ何度も何度も選を練り直していくうちに最終的にやっぱり自分はこれしかないんじゃないかと思いました。〈ひとの声のやみがたさ〉。どんなに抑圧されても、どんなに虐げられても、〈声〉だけはやむことがない。その「声」が題「絞」をぬけてわたしに届いたときにつかまってしまったと思いました。なにかこの句は〈題「絞」〉と拮抗しているようにもみえました。ここ最近、毎日、新聞を読みながらこの句のことを思い出していました。もしかしたらこれは〈死者の句〉なのかもしれない。そう、おもいます。
少し秀逸句についても書かせていただくと、まみどりさんの「搾乳」の句は、「一度だけ~されたことがある」という構文の不思議な記憶の喚起の仕方がよいなと思いました。元気な構文だと下ネタ全開になってしまうと思うんですが、なにか抑圧的で心傷的な感じがします。もしかしたらこの句の絞りは「搾乳」ではなく〈記憶の絞り〉かもしれない。
吉松澄子さんの「絞られているのか」の句は意識のありかたがおもしろいなと思いました。自分ではよくわかっていない。でも身体の変化からなんとなく気づいてしまう。そういう〈絞り〉のあいまいな意識/無意識の領域。おもしろい感覚だと思いました。
三浦蒼鬼さんの「雑巾キリリ」は、「愚かになりなさい」との呼応が効いているなと思いました。わたしは川柳ってひとつ〈どれだけ愚かになることができるか〉が賭けられている文芸なんじゃないかと思うんです。どうやってひとは愚かになれるのか。それが雑巾を絞る具体的・日常的な行為からわきあがってくる。しかも「キリリ」という擬音によって雑巾絞りをぜんぜん見下していないことがわかる。雑巾ってかっこいいものだとわかる。説得力がありました。
ちなみに今回の選は佳作に入れられなかったけれども、最後まで悩んだ句がたくさんありました。異論反論は多々あると思いますが、また受け止めたいとも思っていますが、自分なりに自分にとって川柳ってなんだろうと毎日〈絞って〉考えてみました。ありがとうございました。
吐き切って百鬼夜行の中にいる 守田啓子
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