常温のあとがき
- 2016/09/12
- 06:34
あの、ときどき思うことなんですが、短詩って大失敗できるのがいいなとも思うんです。あんまりこういうのってないのではないかなあって思って。
あ、これはいいの書けたかなと思うと、つぎのしゅんかん、とんでもない大失敗をしている。ふみはずしている。なんかちょっとこの高低差がドストエフスキー的だなあと思って、ドストエフスキー・クライミングをしているような感覚になることがあるんです。ドストエフスキー・ダイビングでもいいけれど。そういうのってあんまりないんじゃないかなって。
なにかそれは定型って神学に近いんじゃないかってことも感じさせるんです。歌をよんだり、句をつくったりするひとは、どこかでみんな、神学者なんじゃないかと。あっ、いま、神様にふれたんじゃないかっておもったつぎの瞬間、圧倒的に神からつきはなされていることに、きづく。なにか大きな神様の手のなかを必死にジョギングしつづけているような。
でもときどき神様の体温を感じるときがふっと、ある。ああこれが神様の常温なのかもしれないなとおもう。おもう。おもうんだけれど、次のしゅんかん、みはなされている。ドストエフスキーのサラダみたいなつめたさに、つきおとされている。
ところで、定型の常温は何度だろう。
あ、これはいいの書けたかなと思うと、つぎのしゅんかん、とんでもない大失敗をしている。ふみはずしている。なんかちょっとこの高低差がドストエフスキー的だなあと思って、ドストエフスキー・クライミングをしているような感覚になることがあるんです。ドストエフスキー・ダイビングでもいいけれど。そういうのってあんまりないんじゃないかなって。
なにかそれは定型って神学に近いんじゃないかってことも感じさせるんです。歌をよんだり、句をつくったりするひとは、どこかでみんな、神学者なんじゃないかと。あっ、いま、神様にふれたんじゃないかっておもったつぎの瞬間、圧倒的に神からつきはなされていることに、きづく。なにか大きな神様の手のなかを必死にジョギングしつづけているような。
でもときどき神様の体温を感じるときがふっと、ある。ああこれが神様の常温なのかもしれないなとおもう。おもう。おもうんだけれど、次のしゅんかん、みはなされている。ドストエフスキーのサラダみたいなつめたさに、つきおとされている。
ところで、定型の常温は何度だろう。
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