【短歌】図書室の…(「短歌研究詠草四月」『短歌研究』2014/4 佳作・馬場あき子選)
- 2014/04/07
- 22:49
図書室のまだひらかれぬ戯曲からひかりが漏れる生殖の雨季 柳本々々
(「短歌研究詠草四月」『短歌研究』2014/4 佳作・馬場あき子選)
【自(分で)解(いてみる)-書物の生殖、または愛-】
図書館は、不思議な空間だとおもう。
たとえば地下迷宮のような施設もかねそなえた大学図書館の地下ふかくにはいっていくとき、この本はまだだれからもいちどさえひらいてもらったことがなくて、何十年も閉じられたまま、この書架にずっとねむっていたんじゃないかとおもうような本にであうことがある。
だとしたら、その本の占めていたスペース=空間っていったいなんなんだろう、とおもう。
意味はない。いちどもひらかれなかったんだから。意味はないが、意味は凝縮している。意味がこめられ結実したから本になったのだ。そしてそれは読まれるべき施設にもちこまれた。しかし、だれも読まなかった。本は本として機能しなかった。じゃあ、その意味は?
意味、意味、意味。図書館は、意味の園のようにも、おもう。意味の楽園でありつつ、意味の牢獄でもある。わたしたちは本を借りることによって、意味をすこしだけ解き放つ。しかし、司書=看守はいう。「返してください」と。読んだら。
意味はまた幽閉される。ボルヘスは、図書館には死が充満しているという。そもそも、ロラン・バルトによれば、図書館とは欲望させつつもその欲望をつねに挫折させるところにその特徴があるという。
わたしたちは、「読め」といわれる。「読んでごらん」と。しかしどうじにこうもいわれる。「すべて読めないよ」とも。
ともかく、図書館にはひらかれぬ書物がたくさんあるのではないか、そして図書「室」という、図書館よりもシステムや位置づけがあいまいな意味のやわらかい幽閉場所にはもっとそんな本があるのではないかというおもいからきているうただとおもう。
しかも読まれないのは戯曲じゃないかなというおもいもあった。
「生殖」に関しては、むかしから本が夜中にひとしれず繁殖するという幻想があって、それをこめた。
本と本はつねにとなりあわせにおかれる。あんなに愛を配置として表象しているモノもないのではないかというきがする。しかも隣り合う組み合わせは毎日変わっていくし、一生変わらないものもある。そしてそれはランダムだ。夏目漱石のとなりに村上春樹があったり、村上春樹のとなりにトルストイがあったりする。でも、あしたはどうなるかわからない。でも、それはとなりあう。そしてあいしあう(というようにわたしにはかんじられる)。
ボルヘスは「バベルの図書館」という無限大としての図書館を、テキストを、構想したけれども、わたしはどの図書館にも「まだひらかれぬ」バベルの図書館が一冊のなかにつまっているようなきがする。
二十数個の記号のあらゆる可能な組み合わせ―その数はきわめて厖大であるが無限ではない―を、換言すれば、あらゆる言語で表現可能なもののいっさいをふくんでいると推論した。いっさいとは、未来の詳細な歴史、熾天使らの自伝、図書館の信頼すべきカタログ、何千何万もの虚偽のカタログ、これらのカタログの虚偽性の証明、真実のカタログの虚偽性の証明、バシリデスのグノーシス派の福音書、この福音書の注解、この福音書の注解の注解、あなたの死の真実の記述、それぞれの本のあらゆる言語への翻訳、それぞれの本のあらゆる本のなかへの挿入、などである。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス「バベルの図書館」『伝奇集』
(「短歌研究詠草四月」『短歌研究』2014/4 佳作・馬場あき子選)
【自(分で)解(いてみる)-書物の生殖、または愛-】
図書館は、不思議な空間だとおもう。
たとえば地下迷宮のような施設もかねそなえた大学図書館の地下ふかくにはいっていくとき、この本はまだだれからもいちどさえひらいてもらったことがなくて、何十年も閉じられたまま、この書架にずっとねむっていたんじゃないかとおもうような本にであうことがある。
だとしたら、その本の占めていたスペース=空間っていったいなんなんだろう、とおもう。
意味はない。いちどもひらかれなかったんだから。意味はないが、意味は凝縮している。意味がこめられ結実したから本になったのだ。そしてそれは読まれるべき施設にもちこまれた。しかし、だれも読まなかった。本は本として機能しなかった。じゃあ、その意味は?
意味、意味、意味。図書館は、意味の園のようにも、おもう。意味の楽園でありつつ、意味の牢獄でもある。わたしたちは本を借りることによって、意味をすこしだけ解き放つ。しかし、司書=看守はいう。「返してください」と。読んだら。
意味はまた幽閉される。ボルヘスは、図書館には死が充満しているという。そもそも、ロラン・バルトによれば、図書館とは欲望させつつもその欲望をつねに挫折させるところにその特徴があるという。
わたしたちは、「読め」といわれる。「読んでごらん」と。しかしどうじにこうもいわれる。「すべて読めないよ」とも。
ともかく、図書館にはひらかれぬ書物がたくさんあるのではないか、そして図書「室」という、図書館よりもシステムや位置づけがあいまいな意味のやわらかい幽閉場所にはもっとそんな本があるのではないかというおもいからきているうただとおもう。
しかも読まれないのは戯曲じゃないかなというおもいもあった。
「生殖」に関しては、むかしから本が夜中にひとしれず繁殖するという幻想があって、それをこめた。
本と本はつねにとなりあわせにおかれる。あんなに愛を配置として表象しているモノもないのではないかというきがする。しかも隣り合う組み合わせは毎日変わっていくし、一生変わらないものもある。そしてそれはランダムだ。夏目漱石のとなりに村上春樹があったり、村上春樹のとなりにトルストイがあったりする。でも、あしたはどうなるかわからない。でも、それはとなりあう。そしてあいしあう(というようにわたしにはかんじられる)。
ボルヘスは「バベルの図書館」という無限大としての図書館を、テキストを、構想したけれども、わたしはどの図書館にも「まだひらかれぬ」バベルの図書館が一冊のなかにつまっているようなきがする。
二十数個の記号のあらゆる可能な組み合わせ―その数はきわめて厖大であるが無限ではない―を、換言すれば、あらゆる言語で表現可能なもののいっさいをふくんでいると推論した。いっさいとは、未来の詳細な歴史、熾天使らの自伝、図書館の信頼すべきカタログ、何千何万もの虚偽のカタログ、これらのカタログの虚偽性の証明、真実のカタログの虚偽性の証明、バシリデスのグノーシス派の福音書、この福音書の注解、この福音書の注解の注解、あなたの死の真実の記述、それぞれの本のあらゆる言語への翻訳、それぞれの本のあらゆる本のなかへの挿入、などである。
ホルヘ・ルイス・ボルヘス「バベルの図書館」『伝奇集』
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