【詩】「炒めるといいかおりのするもの」(廿楽順治 選)『現代詩手帖』2017年2月号
- 2017/01/28
- 16:23
「狼を水族館に置き去りにしてからの日々が、日本ではいまだずっとつづいている」とかれは説明してくれる。
それでも水はとてもおいしい。わたしは「おいしいね」と言ってしまう。「おいしいね」なんて言葉はおおきな星にゆきつかないのに。
「手をつなぐひとはいつまでも他人の顔をしていると言ったのは、だれだっけ」と言うので、「わからない」と言う。なにも、わからなかった。
わたしは十二月の日々を、「おいしい」と「わからない」のあいだを、いったりきたりして過ごした。ときどき、ホワイトアスパラガスや取れたての海老を買った。うまく働けなかったのにもらうことのできた貨幣で。
それらは炒めるといいかおりをたてた。
「地球が難解になったのは三月のこと? 四月のこと?」
かれはわたしにたずねる。数字にならない水のなかにある手紙を取り出すのはいつもわたしたちおんなの役目になるだろう。わたしは、とりださなかった。わたしは、どうしようと、おもう。お風呂のなかではわたしはからだをあらわなければならない。お風呂のなかではわたしはとてもたんじゅんなからだになった。
十二月二十五日はクリスマスと呼んでもいい日だった。赤色が街のあちこちに置かれた。「赤が」とわたしは言ったままなにも言えなかった。「あなたの言っていることはときどきわからなくなるね。でもほとんどは生活のなかに組み込んでいけると思うよ」とかれは言った。「いっしょにがんばろう」と。
「たくましくなろうね、からだぜんぶ」 かすかな声で言った。わたし以外のかれが。海老の臭いのする息。かれはどこからやってきたのだろう。息のことを考えているうちにほとんどわからなくなった。
お茶会をするようにわたしたちはあるいた。でもその比喩もかれから教育されたものだ。おとことおんなであることはもうどうでもよくて、抱き合うなんてことすらもうすることもなかった。
柳本々々「炒めるといいかおりのするもの」(廿楽順治 選)『現代詩手帖』2017年2月号
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