あとがき々々々々
- 2014/03/30
- 20:20
名前をつけるのが、へたくそである。たぶん。
ほんとうはわたしは、
本々々々(もともともともと)
という、もとの4乗のような名前にしようと思っていたのだが、だんだんと、ナショナリティーもわからなくなっていき、〈異邦人〉化していきそうだったのであきらめた。なんだか、これでは、「來々軒(らいらいけん)、シュウマイあります」みたいではないか。
それでいっそ、
もともともともと
にしようかとおもったのだが、だんだん、〈もと〉とはなんなのかよくわからなくなっていって、ゲシュタルト崩壊のサンプルみたいになっていくのでそれも断念した。またこの名前だとどこで区切っていいかわからず、〈もとも〉さんと呼ばれる可能性もあるだろう。もともさんもすてきだけれども。
柳本柳人(やぎもとりゅーと)
なんかもありなのかなともおもったが、なんだかリュートを奏でるキラキラネームのような気がして、ギリシアの神々ではないのだから、ということでひとと相談した結果、却下になった。きびしいひとだったのである。
それならば直球で、
本(ほん)
ってどうかなと提案してみたが、いやぎゃくにそれ豪速変化球でしょ、といわれ、やはり、却下となった。ほん!と呼び捨てにされたいというきもちはすこしはあった。ほん!と。
ときどきおもうのは、名前を打ち込んでいただくときに、迷惑がかかってるのかもしれない、ということである。そんなとき、すごく恐縮してしまって、柳本々々の々がいっこ減って、柳本々になったりする。
いちおう、「人々」などのありふれた々や「『おなじ』を変換」するなどの方法で打ち込んでもらってはいるとおもうのだが、すごく恐縮する。手数かけてごめんなさい、とおもう。
ときどき、わたしが「馬場」だったらどうしていたんだろう、とかおもう。
「馬場々々(ばばばば)」になる。それは、それで、すてきだが。
へんな名前である。たぶん。わたしのなまえは。
でも、なんだか、中島らもやナンシー関がすきだったので、わたしっぽくてよいようなきもする。たぶん、決定的にうけいれられないときもくるだろうとはおもいつつも。それでも、真剣である。
ちなみに最後に坪内稔典さんが短詩型文学と名前のかかわり合いについて興味深いことを述べられているので引用させていただいて終わりにしたい。
短歌は 、明治の一時期を例外として「本名の詩」であった。作者が堂上を中心とするエリート層であったことが本名で作ることを可能にした。
たとえば、近代の小説において本名で堂々と活躍を始めるのは、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などの白樺派の作家たちであった。
本名のまま、自分の思いや信念を押し出すためには、本名の自分を支える基盤が必要だが、近代の貴族階級を出自とする彼らは、経済的にも社会的地位においても、本名で押し通すことのできる基盤があった。また、短歌は近代に至るまで、作者の体験にこだわらないフィクションであった。それが前提であったから、本名でどんな歌を作ってもよかった。
短歌が本名の詩であるのに対し、短歌的なもののもじりを活力とする俳句は、一貫してペンネームの詩であった。芭蕉、蕪村、一茶、子規、虚子、水原秋桜子、山口誓子、加藤楸邨、中村草田男、石田波郷とみんなペンネームだ。
ペンネームで活躍した明治の歌人たちは、ペンネームを用いることによって、千年を越す短歌の伝統とそこで大きく切れたのではないだろうか。
ペンネームの使用は流行的な気取りというよりも、短歌のエリート性の放擲であった。
また、ペンネームを用いることで体験に即した歌の作り方が容易になったのではないだろうか。鉄幹、子規、与謝野晶子、伊藤左千夫、石川啄木、北原白秋、若山牧水、空穂、釈迢空……。
エリート性を放棄し、そして体験を核にした大胆な発想。
坪内稔典「韻律からみた俳句と短歌」『韻律から短歌の本質を問う』
ほんとうはわたしは、
本々々々(もともともともと)
という、もとの4乗のような名前にしようと思っていたのだが、だんだんと、ナショナリティーもわからなくなっていき、〈異邦人〉化していきそうだったのであきらめた。なんだか、これでは、「來々軒(らいらいけん)、シュウマイあります」みたいではないか。
それでいっそ、
もともともともと
にしようかとおもったのだが、だんだん、〈もと〉とはなんなのかよくわからなくなっていって、ゲシュタルト崩壊のサンプルみたいになっていくのでそれも断念した。またこの名前だとどこで区切っていいかわからず、〈もとも〉さんと呼ばれる可能性もあるだろう。もともさんもすてきだけれども。
柳本柳人(やぎもとりゅーと)
なんかもありなのかなともおもったが、なんだかリュートを奏でるキラキラネームのような気がして、ギリシアの神々ではないのだから、ということでひとと相談した結果、却下になった。きびしいひとだったのである。
それならば直球で、
本(ほん)
ってどうかなと提案してみたが、いやぎゃくにそれ豪速変化球でしょ、といわれ、やはり、却下となった。ほん!と呼び捨てにされたいというきもちはすこしはあった。ほん!と。
ときどきおもうのは、名前を打ち込んでいただくときに、迷惑がかかってるのかもしれない、ということである。そんなとき、すごく恐縮してしまって、柳本々々の々がいっこ減って、柳本々になったりする。
いちおう、「人々」などのありふれた々や「『おなじ』を変換」するなどの方法で打ち込んでもらってはいるとおもうのだが、すごく恐縮する。手数かけてごめんなさい、とおもう。
ときどき、わたしが「馬場」だったらどうしていたんだろう、とかおもう。
「馬場々々(ばばばば)」になる。それは、それで、すてきだが。
へんな名前である。たぶん。わたしのなまえは。
でも、なんだか、中島らもやナンシー関がすきだったので、わたしっぽくてよいようなきもする。たぶん、決定的にうけいれられないときもくるだろうとはおもいつつも。それでも、真剣である。
ちなみに最後に坪内稔典さんが短詩型文学と名前のかかわり合いについて興味深いことを述べられているので引用させていただいて終わりにしたい。
短歌は 、明治の一時期を例外として「本名の詩」であった。作者が堂上を中心とするエリート層であったことが本名で作ることを可能にした。
たとえば、近代の小説において本名で堂々と活躍を始めるのは、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などの白樺派の作家たちであった。
本名のまま、自分の思いや信念を押し出すためには、本名の自分を支える基盤が必要だが、近代の貴族階級を出自とする彼らは、経済的にも社会的地位においても、本名で押し通すことのできる基盤があった。また、短歌は近代に至るまで、作者の体験にこだわらないフィクションであった。それが前提であったから、本名でどんな歌を作ってもよかった。
短歌が本名の詩であるのに対し、短歌的なもののもじりを活力とする俳句は、一貫してペンネームの詩であった。芭蕉、蕪村、一茶、子規、虚子、水原秋桜子、山口誓子、加藤楸邨、中村草田男、石田波郷とみんなペンネームだ。
ペンネームで活躍した明治の歌人たちは、ペンネームを用いることによって、千年を越す短歌の伝統とそこで大きく切れたのではないだろうか。
ペンネームの使用は流行的な気取りというよりも、短歌のエリート性の放擲であった。
また、ペンネームを用いることで体験に即した歌の作り方が容易になったのではないだろうか。鉄幹、子規、与謝野晶子、伊藤左千夫、石川啄木、北原白秋、若山牧水、空穂、釈迢空……。
エリート性を放棄し、そして体験を核にした大胆な発想。
坪内稔典「韻律からみた俳句と短歌」『韻律から短歌の本質を問う』
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